夢を見た。
 それはまるで悠久の。



―― feather of morality 2 ――




 それはまるで。
 まるで。

 光の洪水だった。
 ぶわりと躰を浸して満ちる。
 暗い夜の淵にたゆたっていた意識が、波間を漂う笹舟のように浮上する。
 そう、それは光。
 光だ。
 ゆっくりと瞼を押し上げた。
 ばさりと睫毛の震える音がして、霞がかった頭で、少しだけ周りを認識する。
 俺は。
 嗚呼、俺は。
 静雄は殊更緩慢な動作で躰を起こして、くるりと辺りを見渡した。
 見慣れた部屋、天井、壁。
 見慣れないものなど何一つない。
 ゆらりと揺れる蝋は消し炭。
 ふっと微かな息を吐くと、それに呼応するように立ち消える。
 静雄は。
 きゅるりと唇をかみ締めた。
 陽の光が眩しく、庭に面した障子の向こうから、紅い褥へと緩く伸びる。
 目を細めて。
 でも、ちらりとも動かずに。
 しゃらりと。
 静謐な朝を切り裂くようにして、幾度となく満たされてきた耳慣れた鈴の音が、静雄へと届いた。
 背の先で。
 振り返らない。
 振り返って、相手を認めて、そこに意味が無いことを、もう疾うに知っているからだ。

「やっと起きたの?」

 シズちゃん。

 声は透徹だった。
 今まで。
 どれだけの回数、その口はその呼び名を綴ってきたことだろう、いけ好かない男の声は、静雄の凍ったような鼓膜を震わせ、腐敗した頭の片隅へと滑り込む。
 それを確かに感じていながら、静雄はだけど応えなかった。
 振り返ることすらなく、ただ開け放たれないままの障子に踊る、深い木影を見るとはなしに目で追って。
 ざわりと渡るそれは葉末。
 しゃらん。
 涼やかで重い鈴の音は、全てのざわめきを押し流す。
 その中で押し流されない溜め息が、静雄の頬に触れた。
 温かく。
 いっそ熱く。
 白く滑らかな肌を滑って、すっきりとはりのある上辺を、息よりいっそ熱い指先が、何かを請うようになぞる。

「シズちゃん」

 肌の一つ一つに、声をなじませるように。
 かけられる息はぬめりと静雄を絡め取った。
 不快気に寄せた眉を解かないまま、貝のように閉ざされた紅い唇はふるえない。
 紅などひかずとも、それよりずっと紅い果実だ。
 その紅に、息がかかる。
 男の熱を持った柔い息。
 シズちゃん。
 練りこむようにして唇が、静雄の紅の上を這って、応えない静雄は、だがそれを振り払わずに。
 身をよじることすらせず、視線はただ、光を追っていた。
 くるりと葉影がひるがえる。
 じりじりと立ち消えた蝋の芯が、微かな熾火の声を立てて。
 シズちゃん。
 音にはしない呼び名を唇に乗せて、開かれない紅を弄って、きつく白い頬に爪痕を残し、ようやっと男は離れた。
 振り向かない横顔を、だけど至近距離で眺めて。
 唇をかみ締める。
 まるでやるせなく寄せる眉根。
 能面のように応えない静雄の髪は、だけど陽の光を弾いて目映く。
 名残惜しげな指先が、肩を伝って指に触れた。
 頬と。
 同じか、それ以上に白い指の背だ。

「シズちゃ・・・・・・」

 呼び名を。
 呼びかけて。
 はっと何かに気づいたように振り返る。
 ぎりと歯を軋ませる音は、彼がどれほど今の一瞬を、苛立たしく思ったかをあらわしてでもいるかのよう。
 ふっと部屋に満ちた、陽光より濃厚な剣呑な気配は、だが瞬き一つするより早く霧散して。
 しゃらり。
 重く鈴の音が響いて、男がすっと立ち上がった。
 静雄は振り返らない。
 視線は見るともなく障子に映る光を追って。

「客が来た」

 水面に落とす、雨粒の一滴よりも透明な男の声にも、ついには静雄は振り返らなかった。
 ただ、部屋を出る男の鳴らす、しゃらり、鈴の音を聞きながら。
 熟れた紅い果実がふるえて。

「いざや」

 声に力はない。
 どんな重さも、こめられてなど。
 臨也。
 呟く声音を聞く者すら。
 ただ。
 陽は踊る。
 真昼の中で。
 静雄は。

 一人だった。



 夢を見た。
 それは淡く黄昏の。
 微かな夢。
 その夢の中で、俺は。

 舞う羽の影も。
 今はなく。


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>>まだまだ導入部。


(2010.11. 7up)


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