愛してる。

 なんて、滑稽な言葉、君の口から聞きたくなかった。
 ただ、それだけなんだ。



―― language of love ――




 ざしゅりと、己の体重全部で突き立てた凶器はやはり君の薄い皮を剥ぐだけで、うっすらと滲んだ血は、いつだってすぐに止まるんだ。
 俺は飛び退りながらすぐにも間合いをとって、ナイフに僅か付着した赤い君の体液を舐める。
 人の血液なんて呑む趣味はないんだけど、どうしてかな、君のそれだけいつだって甘い。
 ぺろり、舌を這う鉄錆の匂い。
 遠くでネオンが瞬いている、何時もと変わらない顔をした副都心。
 見慣れた顔で人に青筋を浮かべた君がすぐ目の前で、振ってきた拳は間一髪で避けた。
 髪の先がばさりと音を立てて君の拳に触れ、いっそそれが俺自身だったらよかったなんて腐った自分の思考に笑った。

「ねぇ、シズちゃん」

 呼ぶ声はきっと冷たくて、君は眉間の皺をますます深くする。
 小奇麗に整った麗しい君の顔が怒りに歪むのがただ楽しかった。
 そんな歪さが、本当にただ。
 楽しくて。
 楽しくて。
 だから、これは何時もの言葉遊び。
 振ってくるのが自販機でも標識でもなんでもいい。
 そうやって向けられる怒りこそが心地いいから。
 心底から小馬鹿にした笑みを口端に張り付かせて、君に笑いかける、後ろの街燈がじりじりと点滅して、君の影と俺の影を、イビツに歪め、交わらせた。

「だぁいすきだよ」

 告白というには醜悪で、真実など欠片も含まれていない声で告げる。
 釣り上がる口角は悪意。
 きっと透明な声はどろどろと濁って、君にだけ酷い腐臭を味あわせている事だろうと思うと、ますます笑いがこみ上げてきた。
 なんて滑稽で心地いいのだろう、君の金の髪がゆらりと揺れている、それは風だとかそんなものではなくて、きっと多分君の怒りに。
 揺れて。
 だのに。
 怒りに満ちた君の顔が細まる。

「臨也」

 いつも低く、ただ低く。
 恐ろしいほどの怒気をこめて、間延びして呼ばれる俺の名が、どうしてだかいっそ冷静を装って静かに夜の空気を震わせた。
 俺は一瞬虚を吐かれたように思考が止まるのを感じて。
 ・・・こんな場面で、彼が冷静な声を発せられるなんて、そんなこと間違っても今までなくて。
 そう思ったらなんだか酷く恐ろしくなった。
 その上、彼は口の端を、怒りではなく緩ませて。
 どうして、そんな顔をするの、どうして。
 少しの混乱に落ちる俺のことなど構わずに避ける暇もなく詰められた間合い、落ちてきたのは常の怒りに満ちた拳ではなく、唇。
 乾いて、薄くて、でも柔らかい、何度も貪ったことのある彼のそれ。
 そして。

「愛してる」

 その唇が、馬鹿みたいなことを、嘯くものだから、俺の思考は本当に世界がその一瞬でなくなってしまったように固まって。
 幾度も、小鳥の戯れのように重ねられる唇は、軽く微か、儚く。

「え・・・」

 シズ、ちゃん?

 目を見開く俺に、彼の目尻が下がり、柔らかく笑む。
 それでありながら。
 緩む口端は醜悪なほどの慈愛に満ちている。
 吐き気がした。
 今すぐに。
 胃の中のもの、全部。
 躰の中のもの、全部。
 吐き出してしまいたい。
 そう思って耐えられるはずも泣く込み上げてきた吐瀉物は、彼の服を汚すのに、それでも彼は笑っているから。
 彼の。
 大事な大事な弟からの贈り物が、俺の吐き出した体液で汚れるのに、彼が笑っているから。
 背筋が寒くなる。
 彼が今言った言葉は。
 俺が。
 幾度となく俺が。
 打ち付ける腰と精液に混ぜて、彼に注いできたもの。
 だというのに、どうしてこんな。
 いつだって彼は、それを、心底うんざりしたように否定してきたのに、どうして。
 其処で俺は、少しわかった気がした。
 あぁ、そうか。
 そうなのかと。
 ネオンは二人から遠く、背後。
 空の彼方で、瞬いて、暗い路地裏は点滅する白熱電球が濁った色で満たしている。
 すぐ近くにある彼の金髪が、オレンジに瞬いてチカチカするから、俺は。
 少しだけわかった気がしたのだった。

「おいおい、臨也くんよぉ、吐くんじゃねぇよ、きったねぇな」

 彼は笑って。
 至極、楽しそうに、柔らかく、小さな子供にそうするように笑って。
 何も気にした風もなく、そんなことを言いながらも俺の口に柔く口吻ける、触れるだけのキス。
 俺がいつだって彼に注いできた毒のようなキス。

「そんなに、俺の言葉は気持ち悪かったのかよ。ひでぇな、お前」

 臨也。

 彼が呟く俺の名は、醜悪なほど愛しげで。
 俺はますます吐き気が酷くなった。
 もう吐くものなどないのに吐き出す胃液は、ただ苦しいだけだ。
 饐えた、気持ち悪い匂いが意識を満たす。
 そんな中で、彼の柔らかな眼差しだけが、まるで悪夢のように。

 臨也。

 唇がゆっくりと俺の名を刻む、緩く。
 柔らかく笑ませた頬で。
 刻んで。
 そして。

「嘘だよ、ばかぁーか」

 君が、心底楽しげに、口を歪めて笑うから。
 俺は少しだけ安心して、意識を手放したのだった。





+++





「って、おいおい、それほど気色悪かったのかよ、コイツ・・・失礼なヤツ」

 静雄は呟きながらも、意識を失った臨也の躰から手を離さずにいた。
 その辺の路地裏に放っていこうかとも思ったけれど、まぁ、原因の一端は自分にあるのだろうし、そんな風にも思ったから仕方ないかと溜め息を吐く。
 ずりと肩に担ぎ上げた。
 それこそ、荷物か何かのように。
 酷い異臭が自分の服からと唇から両方していて、舌打ちを打つ。

「あぁ〜ったくよぉ・・・コイツはほんとに・・・」

 ぶつぶつと呟いて、だけれども捨て置く気にもならない。

 本当に、コイツは。

 どうしようもない。
 どうしようもないやつだと知っていた。
 知っていたけれど。
 静雄は、人一人担ぎ上げているとは到底思えない足取りで、じりじりと点滅する白熱灯の下を通り過ぎた。
 まぁ、放っておいても、後味が悪いし。
 仕方がないから新羅の所にでも投げ込みに行こう、そんな風に思って。

「ったく・・・・・・一応」

 本心なんだけどな。

 苦い心情は、それだけで夜に溶けるようだった。
 まるで滑稽な戯曲。
 つまり臨也は愛とともに醜悪な執着を静雄に注ぎ込みながら、それが静雄から返されることに、心底嫌悪を抱くのだろう、そんなことは疾うにわかっていたのだけれど、本当は。
 だから、これは、ある意味で静雄の思った通りのことで。
 最も、意識まで手放すとは思いもしなかったけれど。

「安心しろよ、臨也」

 次に目覚めた時は、ちゃんと。
 愛の言葉なんて間違っても吐かないお前のことなんてだいっきらいな俺でいてやるから。
 だから。

 それはなんだか苦しかったけれど。
 気付かない、ふりをして静雄は、ただ肩に担ぎ上げた躰と、自らの服、そして臨也と重ねた唇から匂う異臭に、鼻をしかめたのだった。


Fine.


>>自分の愛が一方通行じゃないと混乱してしまう臨也の巻。(何それ)


(2010. 3.21up)


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