それは決まって新月の夜に。
―― midnight sun light 3 ――
理由はわかるような気がしたし、わからないような気もした。
ただ静雄は考えるのがあまり得意ではなかったので。
「あちぃ・・・・・・」
静雄はただ、躰の奥、燻るような熱さを感じている。
それはこんな夜に決まって感じる熱。
燃えさかって滾って、ただ静雄の脳を犯す熱だ。
「あちぃ」
不調は朝起きた時から。
否、その前から、徐々に酷くなっている。
夕方になる頃には、とみに辛くて。
だからと言って動くのにも、働くのにも支障はない、そんな熱だ。
体温が上がっているというのではなく。
むしろいっそ。
『静雄?今日は・・・あぁ、そうか。もう上がっていいぞ』
それはほとんど、月に一度ぐらいの頻度でそんな夜は必ず静雄は早く帰された。
『は、はぁ・・・トムさん?』
疑問に思って訊ねても、上司は苦く笑うばかりで。
『いいから。今日はもう帰っとけ。な?』
促されると、不調を感じているのは確か、結局静雄は頷いて。
こうしてただ、帰路につく。
夜の帳が下りて僅か。
遠く、西の空では夕陽の欠片が赤い。
まるで血の凝ったような暗い紅だ。
星は見えなかった。
都会の濁った空では当たり前だが、今月は月さえもない闇色の夜で。
静雄は一つ、息を吐く。
その息は酷く熱い気がしたけど、反対に頭の芯は、きんと凍えるようだ。
熱に目が眩んだ。
ふらりと足先が揺れるのを、頭を一つ振ることで堪える。
躰が熱い。
ただ、酷く熱く感じる。
目の奥が赤く。
明滅するような。
ほとんど毎日目にしているはずの、事務所から自宅への帰り道。
見慣れた街並が、歪に揺らいだように感じた。
「シズちゃん」
その瞬間。
聞こえた声に、振り返る。
今までに飽きるほど見てきた男の影。
黒い。
黒い黒い真っ黒なその存在に、どうして今日は苛立ちを感じない?
いつも、この男から漂う、腐敗した思考が固まったような匂いが、今日ばかりは鼻を刺激することもなく。
「いざ、や・・・?」
ぼんやりと。
男の名を呟いた。
頭の芯が、凍えている。
躰は酷く、熱い気がするのに。
そして視界は揺れて、揺れて。
足の先からぐんにゃりと歪んでいく。
ああ、そうだ、この間もコイツが。
その先に思考が届くこともなく、静雄の意識は闇に途絶えたのだった。
それだけ。
たったそれだけを。
あの時から。
ずっと・・・ずっと。
繰り返している。
飽きることなく。
静雄の知らないところで。
だが、他でもない彼自身が。
+++
目覚めるといつも、自分の部屋の自分の布団の上。
昨日の夕方からの記憶がない。
いつ自分が部屋に戻ったのか。
そもそも、自分が身に着けているのは、確かに寝間着にしてるシャツであるはずなのに、何処かよそよそしくさえ感じて。
朝の光に目を覚まして、静雄はぼんやりと窓を見る。
陽は疾うに高く、昼に近いような時間だ。
ちゅんちゅんと鳥の鳴き声が窓の外。
車の排気音と、子供の笑い声も。
さざめくように響いて。
ずっと、何かがおかしいと思っているのに・・・6年。
ついぞ静雄はそれを追求することはなかった。
「・・・・・・・・・ま、いっか」
何しろ彼は、頭を使うことがあまり得意ではなかったので。
ぼりぼりと頭をかく。
霞がかってぼんやりとした脳の奥で、ちかちかと何かが明滅したような気がした。
紅い残像である。
「・・・いざ、や・・・?」
知らず、ぼんやりと呟いてはっとする。
馬鹿馬鹿しいと頭を振った。
「あほらし。なんであんなノミ蟲の事なんか・・・」
自分の声は。
驚くほど空々しく明るい光に溶けて。
だが、気付かないふりをする。
それは静雄にとっては慣れた感傷なのだ。
朝。
月のない夜が明けて。
昼に近いような時間に。
静雄はのっそりと躰を起こす。
また今日も、代わらない一日を過ごすために。
なんだか昨日より何処か重い気がする躰だ。
だがそれも大きく問題であるようには思えず。
どうでもいいような日常が、窓の外を行過ぎて。
静雄の心にすくう違和感も、他も全部押し流していくのだった。
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(2010.12.10up)
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