『10分以内。』

 今、彼のいる場所を考慮して、何とかぎりぎりで、此処へ辿り付けるだろう時間だけを記してメールを打つ。
 件名はない。
 内容もそれだけ。
 でも、それで充分だった。
 来ないかもしれない、と言うことは考えない。
 まだ昼を少し回ったところだけれども、今日の仕事がもう終わっているのは確認済みだし、どれほど彼がメールの送信者を嫌っていても、憎んでいても。
 そのメールに従わないと言うことがないことだけを、疾うに知っていたからだ。

「本当に・・・だからシズちゃんは面白いんだ」

 くつりと喉の奥で笑った。
 座っていたキャスター付きの椅子から、ゆっくりと立ち上がって、部屋の隅に備え付けたコーヒーサーバーまで歩く。
 波江には今日少し出てもらっているから、こんなことも自分でしなくてはいけない。
 いつもならめんどくさくも思えるそんな動作も、少しも苦痛だと思わなかった。
 それはきっと、そんなことがどうでもよくなるぐらい・・・彼の来ることを、楽しみにしているからだったろう。
 臨也は笑む。
 ゆるりと。
 陶然と。
 真昼の明るい光が、電気を点けない何処かしら影のある部屋を照らし、臨也の頬を白く射した。
 その笑みがどれほど光に似つかわしくなかろうと。
 太陽が何かを拒むことなど、ありはしないのである。
 ただ、それだけのこと。



―― wait for you ――




 こぽりと音を立ててサーバーから落ちた黒い滴を愛用のマグへと注ぐ。
 途端、ふんわりと立ち昇る香ばしい匂いに臨也はひくりと、知らず鼻を動かした。
 何処か動物じみた仕草で。
 想うのは、今から此処を訪う彼のことだ。
 平和島静雄。
 名前のままの線の細い大人しい顔をしていながら、およそそれからは想像もつかないような人並み外れた暴力を擁する人間。
 臨也ははっきりと彼が苦手だった。
 臨也のようなあくまでも頭で行動する人間にとって、言葉も道理も通じない暴力の権化など、理解できるはずもなく、理解できず、また制御できない存在など、係わり合いになりたいはずもない。
 それでもこうして彼を呼ぶのは、ただ目の前に彼がいない。
 其処に違和感を覚えるからだ。
 それが自分の中のどんな感情に起因するものなのか・・・そんなことはとっくに考えるのを放棄している。
 考えれば考える程、自分にとってあり難くない答えが出てきそうで、恐ろしかったからだった。
 臨也は何処かワクワクとしながら、黒い液体で満たされたマグを持って席に戻り、くるりと椅子を回して窓の外を見、緩い昼下がりの光に目を細めて、ゴミゴミとした特有の濁った空気の色を視界で感じた。
 時計を見ることはない。
 見ずとも解っている。

 あと5分―・・・。

 緩む口端など、自覚するまでもない。
 口をつけたマグの中は、馴染んだ熱さで臨也の躰を満たし、喉を熱さで押し流してく。
 その熱さが堪らず心地よいと思うのだ。
 砂糖もミルクも入れない混じりけのない黒。
 濃く苦いそれは例えば煙草などのそれとも違う陶酔を臨也に齎せて。
 何処かしら彼と。
 似ているようにも思えるのだった。

「僕はねぇ、シズちゃん」

 ただ君が大っ嫌いなんだよ。
 それだけなんだよ。

 意味も無く呟いてみる。
 それは言葉とは裏腹に甘く。
 酷く甘く。
 誰の耳にも届かずに、ただ部屋の空気だけを満たすのだ。
 臨也は心底彼が嫌いだった。
 軋んだ金の髪、人よりよく育った臨也より頭半分以上高い背丈。
 常人よりよほど強大な膂力を持ちながら、しなやかで脆く、細い心。
 躰。
 全てが大嫌いだった。
 よく見ずとも整った線の細い顔も、腕をまわすと簡単に回ってしまう腰の心地よさも、いっそ鬱陶しく思うほどに。
 嫌いで、嫌いで、だけど。

「あと2分」

 唇でするカウントは、違うことなく性格だろう、こういったことは得意なのだ。
 あと2分先のことを、酷く楽しみに思っている。
 そんな自分は、だけど臨也は嫌いではなく。
 今日は彼に、どのようにして触れようかと思いを馳せる。
 軋んだ金髪の残像が、瞼の裏に映る気がした。
 それだけでどうしようもなく胸は高鳴り、心はワクワクと浮き足立っていく。

「もう少し、もう少しだね・・・」

 次に漏れた笑みは音を伴って、けたたましいほどに少しの間だけ室内に満ちた。
 くるり、もう一度回した椅子で向き合ったモニターに映るのは刻一刻と変化していくこの街の情報。
 その一端だ。
 その中には勿論、これから来る彼のことも含まれている。
 マグをことりと脇に寄せて、手にかけたキーボードが奏でる音は、馴染んだタイピングのそれで、その細い指先から紡ぎだされるのは歪んだ戯曲ばかりだ。

「さて、このことを知ったら・・・君は今度はなんていうかな?」

 まぁ、どうでもいいけどね。

 笑みは滑稽なほど歪でありながら華々しく、またそれ一つだけでまさに臨也という人間を表わしている。
 それを目にするのは、今。
 まさにこの直後。
 此処へ、不機嫌な顔をして押し入ってくる彼しかいないのだろう、がたり、過ぎるほど騒がしい音を立てて扉の開いた音がして。
 そして。

「やぁ。いらっしゃい、シズちゃん」

 時間ぴったりだね。

 眉間に険しくしわを寄せて、不機嫌も露に現れたバーテン服姿の青年は。
 違えようもなく臨也の待ち望んでいた人物なのだった。

「・・・臨也」

 押し殺したような怒りに満ちた声も昼の部屋の中に溶けて。
 辺りは変わらない陽の光に満ちている。


Fine.


>>相変わらずカップリング未満・・・orz 一応、臨也→静雄のつもり。一応な!(あぅ)


(2010. 3.11up)


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