どうして、この男の口車に乗ってしまったのだろう。
静雄は、混乱する頭の中で、ゆっくりと落ちてくる唇を見つめていた。
濡れて。
艶めいて。
見ているとなんだか鼓動が早くなるような気がする。
そんな彼の唇を。
―― a closed eyelid ――
静雄と彼、折原臨也とは、はっきりと犬猿の仲だ。
寄ると触ると喧嘩して、姿を見つけたら追いかけた。
まぁ・・・ほとんど毎日、だ。
そしてそれと前後して・・・否、同時に、か。
襲いくる見知らぬ男達。
それはたいてい素行のよろしくないだろう者ばかりだったけど。
そんな中で救いだったのは、彼らが皆、静雄が女であると言うことに関しては、興味がないだろう連中ばかりだったことだ。
たまにそういった男達がいても、そいつらに関してはいつの間にか視界から消えていた。
だから静雄は首を傾げるにとどまる。
それ以上気にすることもなく。
静雄は女性である。
例え男性、どころか、人間の範疇からすら、少しすると外れてしまいそうな暴力の権化であっても、極端に理性を手放すのが早くとも・・・短いスカートなど欠片も気にせず駆け回る姿がどれほど勇ましくても、だ。
それは周知の事実で、着ている服にしてもそうだし、顔立ち、身体つきどれ一つとっても、静雄が女性ではないと間違える箇所など存在しない。
唯一はその名前と、あえて言うと男性と大差ないほどに短く切られた金の髪ぐらいだ。
臨也もそれを知っていたし、静雄自身だって勿論わかっている。
だと言うのに、どうして。
静雄は数分前の自分を呪った。
いつもなら疾うに理性を手放していてもおかしくはないのに、湧きあがる感情は怒りではないから、いまだに理性は静雄のすぐ傍にある。
それがますます性質が悪い。
そんな風に思う余裕もなく、ただ混乱して、目の前の男を見ていた。
幾度か。
訪ったことのある部屋だ。
犬猿の仲でありながら静雄は臨也の家・・・何がどうなっているのか、知りたいとも思わないが一人暮らしをしているらしく、高校生の一人暮らしには到底見合うとも思えないとある池袋内の高級マンションが、臨也の主に寝起きする場所だった。
ワンルームであることを考慮しても、広すぎる部屋。
その、臨也の家を知っていたし、臨也も、静雄の暮らしている場所ぐらい把握しているだろう・・・彼の方は、静雄の家に。
足を向けたことがなかったが。
ともかく、そうして、何故だか幾度か来たことのある臨也の部屋で、静雄は今、部屋に一つきりのベッドの上、目の前に件の折原臨也を据え置かれていた。
勿論、臨也によって。
否、多分この位置に誘導されたのは間違いなく静雄の方で。
どうして。
どうして、自分は。
そうして静雄はまた意味もなく、数分前の自分を悔いていた。
どうしたって其処から思考は動かないのだ。
あるいは、認めたくないのかもしれない。
日当たりのいい部屋は、よく晴れた青空を余すことなく室内に映し出していて、部屋の主に反して、小奇麗で気に入らない要素など少ないその場所であるのに、その過ぎるほど明るい光は、男の上半身でもって遮られている。
自分は、追い詰められるようにして、彼のベッドの上で。
後ろへと這いずって逃げる姿勢でありながら、それ以上動けないでいて。
「いざ、や・・・」
喉がからからに渇いている気がした。
乾いて、乾いて、干からびて。
押し出した声は、奇妙に掠れている。
まるで・・・・・・何か途方もない。
恐ろしいものを前にしているかのように。
情けないと。
思う余裕すらなく、静雄はただ、混乱している。
どうして、どうして自分は、この男の口車に乗ってしまったのだろう、どうして。
固まったような思考は、躰と一緒で、無限ループさながらに先へ進むことがない。
くくっと。
目の前で臨也が笑った。
喉の奥て。
楽しくて仕方がないと。
そんな風に、口端に笑みを刻んで。
「はは。逃げないでよ、シズちゃん。君も頷いたじゃないか」
さっき。
機嫌のいい、透き通った空のように冷たい男の声は、確かに鼓膜を振るわせるのに、静雄の頭には欠片も届くことがなく。
ただ、静雄はその唇を見ている。
影になったとこの顔は、だけど昼間の明るさゆえによく見えた。
見えないはずなんてない、愉悦に歪んだ顔は、奇妙なほど美しく。
静雄は、知らず震えていた拳を、ぎゅっと強く握り締める。
臨也は、静雄には指一本すら触れていなかった。
ただ静雄の上、乗り上げるようにして彼女の後ろへとつかれた、握った拳と逆の方の手のすぐ近くに、細く長い指を持つ、其処だけは男らしく静雄より僅か大きな手のひらを置いて。
ただ、笑って近づいてくる。
その顔を。
静雄はただ、目を見開いて。
引きつった眼差しで見つめている。
「ねぇ、シズちゃん」
臨也は笑った。
笑って。
悪魔のような顔をして。
近づく唇で、囁くのだ。
気付けばもう、触れそうなほど近く。
静雄のそれに、今まさに重なろうとしていた彼自身の唇で。
「キスの時は、目を閉じなきゃね・・・」
そういって触れた唇に、静雄はその言葉に従うわけでもないのに・・・気付けばぎゅっと、目蓋を閉じていたのだった。
どくどくと高鳴る鼓動を持て余して。
ただ、数分前の愚かな自分を呪いながら。
『ねぇ、シズちゃん。気持ちいいこと、興味ない?』
それが、自分にとっていい話であるはずなどなかったのに。
思わず、何故だか頷いてしまった自分の感情こそを。
どうにも見つけることが出来なくなったままで。
触れた唇は、ただ微か。
目蓋を閉じて。
だけど、其処から始まるのは・・・ただの。
Fine.
>>おにゃのこにしたのは、ちょっとした布石、と言うか・・・あんまりにょたが活かしきれてなくてすみません>< なんか中途半端な気もしますが、これはこれだけで終わりです>< 多分。。。←
(2010. 3.13up)
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