「う・・・っあっ!・・・っ」

 息のつまるような低いうめき声が響いた。
 臨也はそれを口に含んだまま、その音に口端で笑みを刻んで。
 きつく掴んだ腿に爪を立てる。
 ギリ、と、己のもてる全ての力を込めて。

「っ!!」

 次のうめきは、声にさえならないようだった。
 途端広がる鉄錆の匂いは、臨也の爪の間から。
 次第に辺りいっぱいに満ちていって。
 やがて。

 ・・・・・・世界にはきっと、二人きりしかいないのだった。



―― do not shown ――




 臨也が、その日そこで彼を見つけたのは、ほんの偶然だ。
 だがそれは同時に必然だったのだと。
 臨也は思っている。

「・・・・・・・・・シズ、ちゃん・・・?」

 暗い路地だった。
 ゴミのこぼれるポリバケツと、反吐の匂いに満ちた街角。
 其処を、よりにもよってその日、通りかかったのは仕事の関係で。
 誓って意味などなかったと思う。
 否、なかったはずだ。
 少なくとも。
 そんな光景を目撃したことに意図なんて。
 あるはずが。
 人が、うごめいていた。
 多分二人。
 はじめは、何が何かもよくわからなくて、その体勢から、どっかの馬鹿が場所も弁えず盛っているのだな、と思って、ちらと視線を一つ流すだけで、過ぎ去ろうとした、だのに。

「っぁ・・・・・・」

 耳が拾った微かな声。
 ほんの、囁きより小さな・・・小さな。
 はたと思わず振り返る。
 その声に、図らずも聞き覚えがあったような気がしたからだ。
 小汚い、多分中年だろう見覚えのない男が、誰かを組み敷いていた。
 黒いスラックスが辛うじて引っかかっただけの長い足、白い膝がゆらりと揺れて、男の躰をはさむように伸びているのに、対、視線が奪われる。
 手が見えた。
 やはり長く、白い手だ。
 しなやかで、遠目にも形よく整っているのがわかる、無骨でありながらすんなりとした印象の。
 切り過ぎない短い爪。
 まずその爪に、見覚えがあった。
 目を見開いて、驚く。
 信じられないものを見たと。
 白い足が、揺れている。
 小汚い男の影で、

「あっ・・・はぁっ・・・」

 至極控えめな息を吐く音が聞こえて。
 それはなんだかやけに艶めかしくて。
 そして。
 ちらりと。
 揺れた金の髪。
 それは。

「・・・・・・・・・シズ、ちゃん・・・?」

 絞り出した声は、掠れていた。
 見間違うはずなんてないのだ。
 だって自分はよく知っている。
 ほとんど毎日ってほど追いかけっこをして、切って殴られて、傷つけて、そして追い詰められてきた、あるいは疾うに、追い詰めたつもりだった。
 それは。
 だって。

 平和島静雄。

 彼だったのだから。





 気付けば彼に圧し掛かっていた男を振り払って、追い払っていた。
 ナイフをちらつかせて、赤い血が飛び散るのも構わずに。
 男は情けなくもすぐさま這いずって逃げていく。
 溝のような匂いがする路地裏だ。
 ネオンの光の遠い薄暗い月明かりの下で、どうしてそんなにも、彼だけが白いのか、臨也は一種呆然と、投げ捨てられたように床に這い蹲っている彼を見下ろした。
 白い足を、見下ろした。
 だらしなく汁を垂らす、露になった彼自身を・・・その先の、白い白濁に濡れたすぼまりを。
 吐き気がした。
 ぶつりと、唾を吐きかける。
 勿論、彼にかかるように。
 唾棄した体液は、彼の褪せたぱさぱさの金の髪、額の近くのそれにかかって。
 一瞬眇めた彼の目が、臨也を見上げてくる。
 そしてその目が歪んで。
 口端も歪んで。
 はっきりと、笑みを刻んだから・・・・・・。





 覚えたのは、殺意だ。
 だが、伸ばした手は何故だか彼に触れていた。
 地面に這う彼に合わせるようにして膝をついて、頭を下ろす。
 どうしてそんなことをする気になったのか、臨也は自分でも判らない、だけど、今恐ろしいほどに自分のそれが反応を示している自覚はあって、なんだか可笑しくなった。
 可笑しくなって、笑って。
 柔らかな彼の内腿に爪を立てる。
 わざと少しだけ尖らせてある、ほんの僅かだけ伸びた爪。
 それが凶器になることは知っていて、むしろそれを見越して延ばしていて、だけど決して、こんなことに使う予定があったわけではなかったのに。
 ぐしゃりと。
 肌を突き破る指先で傷を抉って、満ちるのが鉄錆の匂いであることに安堵する。
 ヘドロのような路地裏の匂いが、押し流されていくような気がした。
 本当は混じって、より醜悪な気配を撒き散らしただけだったのに。
 だが、臨也は舌に感じる苦味さえ、何処かしら甘く臨也は感じて。

「ねぇ、シズちゃん」

 はぁ、と息を吐きかける。
 あつい。
 躰が・・・とりわけ下半身が熱い。
 あぁ、きっと。

「駄目だよ、駄目だ」

 駄目なんだ。

 自分でも何を言っているのかよくわからなかった。
 だって静雄はもう何も聞いていない様子で、ただ苦しげな息を吐き、うめき声を上げ、恍惚に瞳を揺らしている。
 何がどうなってこうなっているのかも、本当によくわからない、でも。
 駄目だと、思った。
 駄目だと。

 ちらと、視線を上げて。
 のけぞった頤の先、ほんの微かだけ見えた彼の口の端が。
 やはり何処か歪んだ笑みに崩れているように見えたので。
 ぎちゅりと、抉った傷を、また更に肉の詰まった爪で広げたのだった。

 思考がどろどろと溶けていく。
 血の凝った匂いだけが、今其処にある全て。

 都会の空の濁った月が。
 ただ、何食わぬ顔で空に。

 細い月明かりで、闇雲に世界を染めて。
 それだけの夜だった。


Fine.


>>イミフー。本当になんか・・・申し訳ない・・・orz


(2010. 3.17up)


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