言えない言葉がある。
言えない言葉が・・・・・・――ある。
―― promise only eyes ――
ピンポーン。
間抜けな音を響かせてインターフォンが鳴る。
夜半すぎ。
照明を落としたオフィス。
窓の外で瞬くネオンが、部屋を闇へと引き渡さずにいる。
臨也は椅子に座り手を組んで、緩く目を開けないでいた。
口元に浮かぶのは笑みだ。
いっそ彼らしくない笑み。
この事務所のただ一人の従業員である彼女は、もう疾うに帰した後で。
臨也の商売道具であるPC類も、電源を落とされて久しい。
なぜなら、それは。
必要ないからだ。
今夜に限っては、何も。
雨が降っていた。
ざぁざぁと、さぁさぁと、微かな音を立てて。
煩いほどのネオンは、雨粒に滲んでいる。
臨也は、インターフォンの音が聞こえていないはずもないのに、それに応じる様子を見せなかった。
部屋の鍵は開けてある。
こんな日は決まって、わざと閉め忘れるのだ。
インターフォンを鳴らした誰かが。
自ら進んでー・・・迎え入れられずとも、この部屋へ足を踏み入れるのを。
ただ、待っている。
雨の音が強くなり、弱くなり、行き過ぎて。
車のヘッドライトが、水の跳ねる音とともに、天井を一瞬明るく照らし、だがすぐにも夜に沈めた。
チカチカと瞬くネオンが、臨也の白い頬に映っている。
どれだけそのまま時が過ぎたことだろう、時計の秒針が、くるりと3週、それよりも更に長い時間。
カチリと、動いた針に、ボーンボーンと、暗い音を響かせて、真新しい黒い淵に、白い文字盤をした丸い時計が、午前一時を告げた。
カチリ、また進む秒針と、さぁさぁと通り過ぎる雨の音。
臨也は目を開けず。
いっそ眠ってでもいるかのように微動だにせずに、だけどただ、待っている。
待っている。
二度目の。
インターフォンはない。
その代わりに、幾らの時が過ぎた頃か、カチャリ、静かに扉が鳴いた。
開かれたドアに、廊下の明かりが皓々と部屋の床を照らしたけれど、それは臨也の座る椅子までは届かずに。
さほどの時を置かず、パタリ、微かな音を立てて、灯る明かりは遮られる。
また、先ほどと同じように夜に沈んだ部屋には、窓の外のネオンだけが瞬いて。
ぴしゃりと。
水滴が床に落ちる音が、微かに響いた。
臨也は目を開けない。
窓の方に顔を向けたまま。
口元には緩く、笑みを刻んで。
びしゃりと。
また一つ、滴る雨の欠片が、オフィスの床を濡らして。
「・・・・・・・・・臨也」
きゅっと。
唇を噛み締めるようにして篭った、その声は静かだ。
静かだったけど。
ぴしゃり、水音を跳ねさせて。
乱暴なほどの衣擦れとともに、駆け足で臨也のすぐ近くまで机を回りこんできた彼は、そのままぎゅっと、椅子の背ごと、臨也に縋り付いたのだった。
「・・・シズちゃん」
ポツリと落ちた声はぽたり、臨也の頬に流れた水音にまぎれて。
夜だった。
+++
「いざっ・・・やぁっ・・・」
はふっと息を吐き出して、縋り付く腕には力など入っていない。
濡れた金の髪はひどく醜悪に、赤いシーツに水のしみを作っていく。
雨に濡れそぼっていた躰は、いつしか、それ以外の体液に塗れている。
「はっ・・・あぁっ・・・シズ、ちゃんっ・・・」
身を沈めた胎の中、きつい締め付けに息を途切れさながら呻いた。
額に汗が浮かぶ。
さぁさぁと、窓の外では雨の音。
硝子一枚隔てて、これはなんと滑稽な光景だろうか、組み敷いた白い躰を見た。
滑らかで仄白く、浮かぶ上がるようなそれ。
普段は気にも留めない、だけどよく見ると意外に長い睫毛が、頬に濃く影を落としている。
こういう時、臨也は彼が、実はひどく整った造作をしていることを、ふと思い出すのだ。
思い出して。
だけどそれが余計に腹立たしくなって。
ずっ・・・、と、力任せにより深く身を沈めた。
ぐちゅりと、小汚い水音が響いて。
「ぁあっ・・・!」
仰け反らせたのど、白く。
金の髪がぱさぱさとシーツを打つ。
「シズちゃん・・・・・・っ」
臨也は彼を見ていた。
じっと、目を離さずに。
伏せられた瞼が開くのを、ただひたすら待つようにして。
彼を見ているのだ。
雨が降っている。
微かな音が、窓の外で。
ネオンに混じって滲んでいた。
しっとりと。
静かに。
微かに。
+++
雨の夜に、彼は決まって臨也を訪なった。
夜半すぎ。
ものも言わず、部屋に押し入り、机をずらす勢いで臨也に縋って。
今もきっと、濡れ汚れたオフィスは、朝の光の下で見ると、どうにもひどい有様になっているだろうと思われた。
灯りを点けない夜の中では、それもよくわからなかったけど。
縋る手は力なく、だのにきゅっと、どうやって握っているのか、放そうとだけはしないから。
臨也は彼を抱えあげて―・・・・・・自分より大きな彼をそうすることは、決して容易なことではないけれど、それぐらいの甲斐性なら持ち合わせている。
階上の自室へと導いた。
赤いシーツに横たえて、貪るように手を伸ばす彼の躰は甘い。
ただ、ひどく甘くて、酔いそうになりながら。
だけど。
言わない言葉があった。
言えないそれは、伝えられない想い。
伏せられた視線を覗き込んで、絡めたまなざしで約すのは、ただ決して口にはしない祈りだ。
彼への心は。
ただ一つの、言葉なのに。
それは臨也も、また彼も。
決して口にはしない、交わした視線だけで分かつ、契りなのだった。
Fine.
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(2010.12. 1up)
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