あ?

 気付いたのは、二人同時。

 
・・・お前なんでこんなトコにいるんだよ。

 ぼそりと呟いた声は、だが無気力で。

 
シズちゃんこそ。

 返す言葉にも、いつもの覇気がない。
 夏だった。



―― 熱雷 ――




 池袋からほんの少し離れた海辺の町を、二人はぼんやりと歩いている。
 二人とも。
 トレードマークのような、常の服ではない。
 あっさりした涼しげな萌黄のランニングに、生成りのパーカーを羽織り、色の薄いくたびれたジーンズに身を包んだ静雄は、その金の髪と、ぎょっとするほど白い肌も相俟って、まるで存在ごと陽に透けてしまいそうだ。
 珍しくその顔にはサングラスもなく。
 パーカーの申し訳程度についた胸ポケットに、窮屈そうに折りたたまれて突っ込まれている。
 隣を歩く折原もまた、赤みがかった淡い色の中着の上から、真っ白いばかりのシャツを羽織り、薄いグレーの綿パンを身に纏っていて。
 髪の黒と瞳の紅が、浮き立つようにして夏の陽射しを受け止めている。
 此処へ至る道すがら、示し合わすことなくまったくの偶然で顔をつき合わせて彼らは、どちらがと言うこともなく、何故だか並んで歩いていた。
 潮の匂いが濃い。
 微か遠く波の音が聞こえてくる。
 ざざり。
 道の先には堤防。
 広くも狭くもない私道を、他人というよりは近く、だが連れ立って歩くにしては少し遠い距離だけ離れて歩く。
 じゃり。
 靴の下で、アスファルトに乗り上げた砂が悲鳴を上げ、ただ空は青かった。
 真っ白な雲は入道雲だ。

 
・・・・・・ねぇ、シズちゃん。

 折原の声は小さかった。

 
ああ?

 おざなりに返す静雄の声も、何処か怠惰で。

 
うぅん、なんでもない。

 本当は訊ねたいことがあった。
 いっそ尽きぬぐらいに多く。
 どうして此処にいるのか、だとか。
 何処に向かっているのか、だとか。
 だが、どの問いも口に出す前に端からぼんやりと霞がかってしまって。

 
なんでも。

 ない。
 それが本当かどうかは、静雄にはどうでもいいことで。

 
そうか。

 だから、打たれた相槌も小さい。

 
そうだよ。

 少しだけ笑って、折原も呟いた。
 高い陽射しの割りに、海が近い所為か、風はさわやかで。
 吹き抜けていく青いそれに、なぶられる黒髪を押さえつつ、折原は空を見上げた。
 陽射しが眩しい。

 
んー、いい風。
 やっぱり都心とは違うよねー。
 足を伸ばしてみてよかったよ。


 誰へともなく折原が言うのに、静雄は応えずに、ただ眩しそうに目を眇めた。
 折原も、はじめから応えなど求めてはいなかったのだろう、歩みを止めることも、静雄の方へと顔を向けることすらない。
 ふらり、足取りは遅く、ぼんやりと前へ進む。
 先に気付いたのは静雄だった。
 あれほど白く眩しかった陽射しが、急に遮られ、道が僅か暗くなったかと思うとぽつり。
 鼻の頭に濡れた感触。

 
あ?

 見上げた空は灰色で。
 ぴしゃり。
 ごろごろ鳴る前兆の後、ひときわ大きな音が辺りに鳴り響いた。
 一瞬、フラッシュをたいたように明るくなって、びくり、肩を竦めて。
 思わず止めた歩みに、釣られるように折原も立ち止まる。
 空を見た。
 ぽつり、ぽつり。
 二粒、三粒落ちた後には、すぐにざーとけたたましいほどの音を立てて、アスファルトを色濃く変えていく、それは雨だ。

 
・・・・・・スコールだ。

 呟きは折原が。
 二人、どちらともなく顔を見合わせる。
 赤い瞳がゆるく笑んだ気がした。

 
シズちゃん。

 ぱしり。
 音を立てて掴まれた腕を引かれて、逆らわずに駆ける。
 自分よりいくらも小さい折原の背中が、常と違い何処か温かく。

 
臨也。

 口の中で呟いた言葉は、折原には届かずに。
 ぱしゃぱしゃと雨を跳ね上げる二つの足音だけが、辺りに響いたのだった。





+++





 ごろごろと遠く、熱雷の音が響いた。
 いくらか走って。
 やっと駆け込んだ僅かばかりの庇は、二人を完全に覆い隠すほどには大きくはない。
 それでも雨の只中にいるよりは幾分かはましだ。

 
この辺りだと、珍しいよね。
 もうちょっと南の方だったら、よくあるかもしれないけど。


 スコールなんて。
 言いながら折原が小さく肩を竦める。

 
ああ。

 静雄は低く相槌を打った。
 突然降り出した雨は、弱まる気配を見せず、他の誰の影もない其処に、まるで二人だけが世界に取り残されたようだ。
 ざぁざぁと雨が降っている。
 激しい音を立てて。
 手を突っ込んだジーンズのポケットの中で、煙草がぐしゃぐしゃに潰れて、だけどそれを取り出してどうにかしようという気が湧かなかった。
 灰色の空、生温い気配、隣に立つ男の熱が、僅か空気を伝って、静雄の側面を浸していく。

 
シズちゃん。

 先ほどからずっと、雨音しか拾っていなかった耳が、いけ好かない男の澄んだ声に捕らわれる。

 
ああ?

 決して機嫌などよくない様子で折原へと応えると、応えをよこされた男は笑った。
 くすり。
 小さく、口の端でだけ。

 
そんなに怖い声出さなくてもいいじゃない。
 俺はただ名前を呼んだだけなんだからさ。


 言いながら肩を竦める気配は、振り返らずとも静雄に伝わって。
 小さく舌打ちを一つ。

 
・・・・・・ふざけた呼び方してんじゃねぇよ。

 こぼすように告げて、あえて折原とは逆の方へと顔を背けた。

 
今更でしょ?

 訊ねる形を取りながら、それは問いではない。
 確認ですらない呟きの後は、ただざぁざぁと雨がアスファルトにたたきつけられる音だけが響いていく。
 灰色の世界は、だけど明るく。

 
シズちゃん。

 伸びてきた指に気付いていながら、静雄は避けなかった。
 背けていた顔が、ぐいと折原の細い指先に引き寄せられて。
 そのまま頭ごと屈まされる不自然な姿勢。
 柔らかく、折原の唇が触れたのは瞼に、だった。

 
シズちゃん。

 吐息に混じって、囁かれる声は酷く微か。
 雨音が響いている。
 折原の吐く呼気が、静雄の肌を弄って。

 
シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん。

 まるで縋るような声は、男の常とは少しも同じ所がない。

 
シズちゃん。

 肌を、男の息が這う。
 頬を、瞼を、鼻先を。
 額に、目尻に、首筋に。

 
・・・・・・・・・大っ嫌いだよ。

 滑り込んだ吐息を、唇に感じた。
 静雄は口端を笑みの形に歪めて。

 
奇遇だな、俺もだ。

 その吐息を食む。
 不自然な体勢など気にしない。
 触れる互いの息が、酷く心地よかった。
 雨が二人を包んでいる。
 常とは違う、二人を。
 遠く。
 微か、空の近くで。
 また一つ、熱雷が鳴った。


Fine.


>>お題を「スコール」と勘違いしたまま書き上げただなんてそんな・・・つか、「スコール(熱雷)」だと思ってたんだよね・・・(遠い目)
  まさか熱雷の方を採用していただなんて、てっきり忘れていました。自作なのにね!(・▽・)思いっきり雰囲気SSです。


(2011. 5. 8up)


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