『好きだよ、シズちゃん』

 どうして。
 どうして、そのたった一言で、いいって思えてしまうんだろう。
 たった一言の、その短い言葉は・・・まるで魔法みたいだ。



―― pretty is innocent :7 morning of opening ――




 好きだとか恋してるだとか、そんな甘い関係ではなかった。
 俺はそれを知っていたし、臨也もそんなことわかっていたと思う。
 そりゃぁ引き摺られるようにして、あぁ〜・・・そんな関係を続けては来たのだが。
 だけど決して。
 あの男との関係に、甘いところなどなかったのだ。
 だというのに。

「シズちゃん?起きたの?」

 うっすらと目を開ける。
 淡い朝焼けの部屋。
 まだ薄暗い中で、所々破れたり崩れたりしている、お世辞にも綺麗とは言いがたいくすんだ色の壁にもたれかかって、裸の胸で、俺を囲うようにして抱き締めたままの男は、戸籍上俺の夫だとかいう男だった。
 ・・・・・・認めたくは、なかったが。
 いつかの朝と、よく似ているようにも思えるのに、今の目覚めは少しも同じ処がない。
 すっきりと、何か、ずっと頭にかかっていた靄が、晴れたようだった。

「うっせぇ、馬鹿」

 小さな声で呟いたら、なんだか喉が今日に掠れていて、気恥ずかしくなる。
 そんなこと、今更と言えば今更だったのに、どうして今朝に限って、こんなにも恥ずかしいのか。
 それはきっと、俺を見る臨也の目が、見たこともないほどに、柔らかいからだ。

「酷いなぁ、シズちゃん。今日はちゃんと躰も綺麗にしてあげたっていうのに。何が不満だって言うのさ」

 肩を竦めて見せる。
 決して小柄ではないけれど、俺よりも低い背で、だけど確かにしっかりとした胸は熱く。
 大人しく、そんな臨也の腕の中に納まっている自分など、腹立たしいばかりなのに、どうして其処から逃れる気にならないのだろう、この男の貧弱な拘束なんて、すぐにも振り解けるものでしかないのに。
 大人しく躰を委ねたままでいるなんて。
 きゅっと。
 唇を噛んだ。
 眉根も寄せて、そっぽを向く。
 確かに、今日はこの間と違ってこざっぱりしていて、やはり意識を飛ばしてしまった俺を、コイツがどうにかしてくれたのだろうことはわかったけれど、だからなんだというのか。

「黙れよ・・・」

 頬が熱くなる。
 誤魔化すようにして身じろぎし、きょろりと辺りを見回した。
 脱ぎ散らかされ、皺になった服に手を延ばす。
 緩い拘束は、だけど俺の肌から指を離すことがなくて。

「っ・・・臨也」

 咎めるようにして名を呼ぶのに、そ知らぬ顔をして臨也は笑った。

「なぁに?」

 柔らかく。
 それは見慣れているような気がする笑顔なのに、どうにも始めてみるような気がする色を乗せていて。
 俺は一つ舌打ちする。
 イライラと頭に血が昇りそうになったけれど、それは何時ものように暴力に繋がることがない。
 やっと探り当てた煙草の箱から、慣れた仕草で一本を取り出し、口に咥えた。
 次に火を探そうとしたら、

「はい」

 何食わぬ顔をして、火をつけたライターを差し出してくるから、俺はまた一つ小さく舌打ちして、だけど逆らわず、口に咥えたままの火を寄せた。
 じじと、薄暗い朝焼けの中で、ぽっと灯った赤い火は、なんだかそれだけで空気を落ち着ける気がして。
 逆になんだか落ち着かなくなる。
 誤魔化すように、慣れた苦味を深く肺へと吸い込んだ。
 臨也は、そんな俺の様子を、やはり何時もとはどこか違う眼差しで、じっと見詰めていた。
 俺は苦く、眉根を寄せる。
 昨日のこととか・・・あまり思い出したくはなかったし、やはりコイツのことも。
 あまり思いたくはなかった。
 あの日。
 あれほど触れられたくなくて。
 知った事実に打ちのめされて。
 だのに今は。
 なんだかもう、いいかと思ってしまっている。
 なんだか、もう。
 それで。
 構わないんじゃないかって。
 そんな風に。

「ねぇ、シズちゃん」

 どれだけ、経った頃だったろうか。
 朝がゆっくりと流れていく。
 薄い闇が、だんだんと。
 太陽の光りに押し流されて。
 白く口から吐き出した煙は、棚引く雲のように空気に溶けた。

「あ?」

 俺は不機嫌な声で一つ返事を返す、体勢の所為で少しだけ見上げることになる、男の酷く整った横顔はやはりどこか何時もと違っていて。

「シズちゃんは、さ・・・」

 やっぱり、俺と夫婦なのとか、いや?

 訊ねる声は、何時になく自信なさ気で。
 俺はなんだかおかしくなった。
 でも、噴き出すでもなくて、口の端を緩めることだって耐えて。

「・・・・・・いやだって言ったら、どうにかなんのかよ」

 訊ねてみる。
 そうしたら臨也は、ますます情けない顔をして。
 きゅっと、唇を噛み締めた。
 そして、ちょっと辛そうに笑って見せて。

「どうにもなんない。放してなんて、上げられない」

 その笑顔が、ほんとうに。
 ほんの少しだけ、少しだけ辛そうだったから。
 俺は笑った。
 今度は耐えることなく。
 笑って。

「もういいよ」

 かまわねぇ。

 そう言って、熱い男の胸に、頬を摺り寄せたのだった。





 本当に。
 魔法みたいだと思う。
 あんなに腹が立って、イライラして、辛くて。
 でも、あんな、たった一言で。
 もう、なんかどうでもいいような気がしてる。
 自分が酷く滑稽だったけど。



 空がゆっくりと明けていく。
 臨也、と、まるではじめて見るみたいな朝は。
 きっとなんだか・・・やっぱり、昨日と同じなのだろうと思った。
 ・・・まぁ、ひとまず。
 もうちょっとだけ寝て。
 次に起きた時は。
 俺、この男のこと・・・多分、殴るんだけどな。
 それはそれということで。





 変わらない朝陽だった。


Fine.


>>まとまりが・・・悪い・・orz けど、もういい・・・orz


(2010. 3.22up)


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