それは夢だったろうか。
 性質の悪い悪夢。
 もしくは幸せな夢の残滓か。
 ひらり、ひとひら紅が舞う。
 紅く染まったいちまいの葉は、それだけ昔と何も変わらずに。
 きらきら光る、日向の紅。
 こぼれ落ちる金糸。
 それはまるで、それはまるで。
 確かの、彼の欠片なのだった。



―― feather of morality 5 ――




 其処は閉じられた座敷だ。
 明るく、影もなく、だが何処にもつながらない。
 遅い朝に目を覚ました静雄は、ぼんやりと辺りを見回した。
 此処へ来て。
 いったいどれだけの時が経ったろうか。
 まだ幾年。
 季節はまだ、一つ確かにうつろいだばかりだ。
 だが。
 それは彼らが痺れを切らすには充分な長さにも思えた。

「三月、か・・・」

 月は三度満ちて欠け、身を切るばかりだった寒さは和らいで、今はもう花のつぼみがやんわりとほころんでいく頃。
 褥にこもる熱は、人肌だけではまだほんの少し冷たすぎるような頃でもあったけれど。
 ついと、手を伸ばして格子を開け放つ。
 青い空がのぞいて、静雄は知らず息を吐いた。
 こもったような熱ばかり閉じ込めるこの狭い空でも。
 匂いは確かに外と同じ気配をまとっているような気がして。
 清々しい春先の匂いである。
 ひら、とひとひら。
 気の早い薄紅が視界を掠めた。
 意識せずとも、静雄の口端は笑みを刻んでいて。
 だけどそれは、すぐにも苦渋へと変わった。
 ちりり。
 鈴の音が鳴る。
 あの男の足首につけられた微かの鈴だ。
 まるで猫のように、そのありかを示す。
 がたり。
 然程大きな音も立てずに引き開けられた襖の向こうでは、さざめくような童女たちの声がこだましていた。

「シズちゃん」

 男が声をかける。
 黒い男だった。
 外へと顔を向けて、窓辺にもたれていた静雄は、男の方へと視線を流した。
 紅い褥の先で、男はいっそ柔和とすら見える笑みを浮かべて静雄を見ていた。
 口端と眉尻とで笑んで、だがその瞳の光だけが笑ってはいない。

「お客さんだよ」

 そう動く男の唇は。
 何故だかひどくゆっくりと。
 静雄の目には映ったのだった。

「・・・・・・そうか」

 誰が来たのかは言われずとも知っている。
 遅い朝のこと。





+++





 もはや慣れてしまった、静雄へと与えられた部屋の中で、彼はひどく居心地悪そうに腰を落ち着けていた。
 門田だ。
 紅い褥へは続きとなっている座敷の一つである。
 示されただろうに上座へは頑として座らず、扉の近くへと腰を下ろした彼の変わらない態度が、何処か好ましく静雄の目へと映った。
 口端は知らず笑んで。
 それは先ほど空を見て、浮かべられたそれよりずっと柔らかな笑みで。

「京平」

 声は静かに、だが親しみをこめて、紅い唇からこぼれた。
 身を。
 軽く整えただけの姿である。
 幾度か通ううちに、もはや慣れてしまったのか、最初こそそのしどけない姿に、憤るようですらあった彼も、今は僅か瞳を揺らすだけに変化をとどめている。
 静雄とてこのような姿、此処へ来るまで想像すらしなかったのだから、彼の驚きもまた、余計に酷いものであっただろう。
 ことに彼が静雄へとかける心の傾きも、静雄はよく知っていたので。
 薄物の紅い襦袢一枚。
 上からかける羽織がどれほどきらびやかであったとしても。
 それは所詮春をひさぐ女の装いである。
 それを危なげないすそ裁きで払い、静雄は上座へと腰掛けた。
 門田にはそうした方が落ち着けるだろうという、小さな配慮である。
 静雄は陰陽師だ。
 それも彼以上にはいないと言われるほどの強い力を持つ。
 こんなところで客を取るような身分では決してありえない。
 それは今まで幾度となく繰り返した繰言で、近頃では門田も、ただ溜め息を吐くにとどめるようになっていた。
 だというのに、今日に限って門田の顔が硬い。
 静雄の声にも、ちらとそちらを見ただけで表情を緩めることはなく。
 静雄も。
 彼が其処にいる理由を察してはいたので、すぐにも口元を引き締める。

「いつまでだ。いつまで此処にいるんだ、静雄」

 門田は静雄がしっかりと上座に腰を落ち着けるのを確かめてから、おもむろに口を開いた。
 これまで幾度となく繰り返してきた問答。
 返す応えも変わりはしない。
 静雄は一つ、息を吐いた。
 それは疲れたような吐息で。
 門田がぴくりと眉根を寄せた。

「静雄・・・お前もわかっているはずだ。あいつが焦れている。皆も気にしてるしな」

 饒舌な性質ではない門田は、いつだって言葉が少ない。
 だからといって、言わずに置けないようなことを惜しむような性質でもなく。
 だから、彼が口にしたのなら、それはそのまま事実なのだろうと、静雄は思う。

「・・・・・・もうしばらく」

 静雄は小さく口を開いた。
 門田が名を口にはしなかった誰かを、静雄は知っている。
 わからないはずなど・・・ない。

「すまないと・・・そう、伝えてくれ」

 伏せた目で。
 門田の方を見ずに、静雄は告げた。
 すまないと。
 意味のない謝罪は、空々しく彼の目に映るだけだろう。
 それを。
 知っていながら。

「それで・・・それですむ状況ではないことを、お前だってわかっているはずだっ!俺では・・・止められないぞ。お前は・・・構わないと?それでもまだ其処に居続けるのか。静雄!」

 静雄、と、名を呼ぶその響きだけは乞うようですらあった。
 珍しくも声を荒げた門田を、だが静雄は彼へと戻した眼差しで傷ましげに見つめるだけで。
 ふると。
 一つ、首を振る。
 横に。
 小さく。
 またすぐに逸らされた視線に、門田はやがて小さく息を吐いて。

「・・・・・・式を置いていく。拒めはしないぞ。もはや猶予はないのだから」

 ぎりと唇をかみ締めて。
 立ち上がる背に、静雄は声をかけなかった。
 すまないと。
 もう一度繰り返すと、ともすれば自分がこそ、持たないような気がしたので。
 窓のない座敷に残るのは、何処か不穏な気配。
 ただ、それだけだった。



 知っている、わかっている、それは残滓だ。
 夢の欠片。
 だが、かつての記憶。
 時が動くのを。
 人の想いを。
 また、自分の心を。
 静雄は止められず、止められず。
 やがて訪れる終焉は、だけどはじまりにしか過ぎないのだと。
 知っていたなら、何かが変わっただろうかと。
 そんな埒もないことに。
 たゆたう意識のただ中で、静雄は。
 ぐるりと心を廻らせて。
 やがてやるせなさにきつく眦を歪めたのだった。
 それは夢、ただの夢なのだと。
 変わらない今を想いながら。
 羽が舞った。
 それは紅いひとひらの。
 古の、夢なのだった。


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>>さて、後半だよ!もうちょっと><


(2010.11.22up)


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