小さい頃から、伸ばした手の先はいつだって何もなかった。
だからきっと、あんなゴミみたいな男でも。
―― grow a hand ――
「シィーズちゃん?何考えてんの?ダメだよぉ、ちゃんと集中しなきゃ。ねっ!」
言葉と同時に、ずしりと突き上げられて、思わずつまったような息が漏れた。
「うっ・・・は、あっ・・・!!」
視界が悪い。
この、くそノミ蟲がっ・・・!
悪態は言葉にならず、ただがくがくと震える唇は意味の無い音を羅列するだけだ。
湿った気配と空気が部屋に満ち、そんな理由でなどなくとも、頭はぼんやりとぼやけている。
だというのに、躰に感じる快感だけがリアル。
揺れる眦で睨みつける。
くそムカツクほど整った顔をした男の、胸糞の悪くなるようなにやけ面が、得たりと唇を歪ませてこちらを覗き込んでいた。
皓々と点けられた灯りの下で、逆光になった男の顔なんて、よくは見えないはずなのにどうしてこんなにもはっきりと認識することが出来るのか。
多分きっと、今までも。
飽きるほどに見てきた面だからだ。
「いざ・・・やっ・・・!」
苦しい息の隙間に名を呼ぶと、男がますます目を輝かせたのが判る。
こいつを。
悦ばせる為に呼んだ名ではなかったのに。
舌打ちすら出来ない状況の中で、だけど俺の躰は確かにぐずぐずに溶けてしまっていて。
悔しくなる。
それに、虚しくもあった。
「シズちゃん・・・」
このノミ蟲の・・・この男の。
いや・・・・・・・・・臨也の。
荒く熱い息が耳元にかかって、びくりと躰を震わせてしまう。
普段こいつの声は冷たい。
まるで温度などないほどに透き通って。
誰でも彼でもを凍てつかせてしまうほどだと言うのに、今は。
酷く熱くて。
そのギャップにもぞくぞくする。
そうして息を聞いたあと、すぐに、耳に痛みが走ったのは、多分こいつが噛み付いたからだろう。
俺はだんだんとそんなことすらもわからなくなっている。
拘束されているわけでもないのに、臨也を押し退けることの適わない手はただぎゅっとシーツを握りこんで、躰の熱に堪えていた。
どうしてこんなことになったのか。
そんなの今更で・・・判りきっている。
ただ単に血迷っただけだったのだ。
だってそうとしか思えない。
こんな・・・男に。
組み敷かれるのを、自分がよしとするだなんて。
「いざ、やっ・・・」
自分の膂力は理解しているから、伸ばせない手の変わりに縋る。
眼差しで乞う。
情けないだなんてそれこそ今更で、ただ今は何でもいい、この熱に浮かされて、どうしようもない疼きをどうにかして欲しいだけだ。
言葉もなく、荒い息だけで、躰が跳ね上がるほど激しくもたらされた動きは、だけど限界へと到達するほどのそれではない。
多分それはこいつが、わざと場所を外しているからだ。
もどかしくて、だけど縋れなくて。
「いざ、やぁ・・・っ!はやっ・・・く、もうっ・・・!」
欲しい。
毀れる言葉の意思を組んで男が笑う。
それは腹が立つほどのいやらしい笑みで。
だけどそれでいいと思うのだ。
この男のそれ以外の笑みなんて、いっそ見たくはないと。
そんな風に思いながら、ただ風に揺れる木の葉よりも激しく、思考を歪めていった。
腹が立つばかりの男の下で。
そんな奴自身を、この身に受け入れながら。
+++
伸ばせない手の虚しさを、俺は知っている。
ただそれはいい加減自分の性だとも思っていた。
いつから、こうなったのか。
はじめに自分を理解したのは小学校3年の時。
それより前のことなんて、少なくとも覚えていない。
その感覚は、酷く身近にあった。
気付けば視界が真っ赤に染めている。
頭の中が全部それだけになって、はたと。
我に返った頃には、周りに広がるのは破壊され尽くした諸々だけ。
その現象は、確かに自分が成したことで、それが判っているだけに、次第に手は伸ばせなくなっていった。
俺は自分を化物だと思っている。
だが同時に、人でしかないということもまた。
どうしようもないぐらいに、解っていた。
手を、伸ばしたい。
伸ばしてはいけない。
伸ばして欲しい。
そんな風にして。
求めながらも何も。
求められなかったからだろうか。
「シズちゃん」
胡散臭い笑みを浮かべて。
いけ好かない気配を放ちながら。
それでも、俺の噂にも、暴力にも臆さずに近づいてくるそいつを、どこかで拒みきれなかったのは、もしかしたら・・・多分。
寂しかっただけなのかもしれなかった。
「あぁん?」
怒気を孕んだ応えにも底冷えのするような笑顔を絶やすことなく、触れた指先は、きっと。
初めて、俺に触れた指先なのだった。
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>>うっかり続く。でも短編ののりで。
(2010. 3. 6up)
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