俺がシズちゃんに寄せる感情なんて、有り体に言っても好意でなんてあり得ないのに。
それでも。
それは・・・違えようのない。
劣情。
―― scared finger-tip ――
俺は彼が臆病であることを知っていた。
ただ、それだけだった。
「シズちゃん」
にこやかに笑いながら声をかける。
夜の60階通り。
多分仕事帰りなのだろう、ねぐらへ向かう彼を見つけた。
そのまま。
見つからないように、踵を返してもよかったのだけれど。(現に珍しく彼はこちらへは気付いていなかったわけだし)
それでも。
声をかけたのは、多分。
「あぁん?」
殊更に低められた地を這う声で、額に青筋を浮かべながら振り返る彼は、酷く見慣れた顔をしていた。
一目で俺に気付いたのだろうかけられた色眼鏡の奥で、どんどん目が吊り上げられていって。
「っ!!・・・いぃーーざぁーーやぁーーっ・・・・・・!!」
そしてそんなうめき声のような呼びかけと共に、びきりと。
手が、周囲を探る。
多分・・・投げられるものを探しているのだ。
例えば・・・自販機とか。
標識とか。
そんなことぐらい判らないはずもないのに、俺は笑顔を崩さずに、ひょいと一歩、彼のすぐ近くまで距離をつめた。
至近距離で覗き込むサングラスの奥で、存外に突発的事項に弱い彼が、きょとと目を見開いたのが判る。
まぁ、だからと言って、彼の怒りが収まるわけはないし、むしろいっそ火に油を注ぐようなものなのだろうけど。
解っていながら、俺は笑った。
多分シズちゃんが、ものすっごく嫌いなのだろう笑顔だ。
胡散臭いだとかなんだとか、散々なことを言ってくれるそれ。
そのまんまの顔、触れそうなほどに近づけた距離で、そっと彼の頬に触れ、彼が我に返る前に畳み掛ける。
「そんな怖い顔しないでよ、落ち着いて、シズちゃん、喧嘩したくて声をかけたわけじゃないんだ。ね?」
ふ、と。
彼の耳元に一つ息を吹きかけて、次の瞬間には後ろへ大きく跳び退った。
間一髪で、髪の先を彼の腕が掠める。
後一瞬遅ければ俺は今頃地面に膝をついていただろう。
思いながらまだ更に後ろへ下がって、充分に距離をとった。
彼はなんと言うか・・・でたらめな行動に容易く走る割には、順応力に欠けるのだ。
むしろ彼のような純粋な暴力は、時に理性や思考の絡まないところにある。
俺はそれを知っていたのでそんな隙をついて、彼のすぐ傍まで寄ることもできたし、今のようにすばやく距離を置くことも出来るのだった。
「逃げんなっ!!このノミ蟲がっ・・・!!!」
続いて飛んできたのはポリバケツで、それは多分すぐ傍の居酒屋脇にあったゴミ箱だろうと思われる、それもなんなく、軽やかに見えるだろう足捌きでかわしながら、俺はまた少し彼を距離を置いた。
笑みは絶やさずに、彼から視線も離さずに。
「あはは。逃げるに決まってるじゃない。そんなの当たったら痛いんだからさ」
てゆっか、君の力だと俺死んじゃう。
ふらりとコートをバサバサさせながら肩を竦めたら、彼の眉間の皺が見る間に増えていく。
こめかみの青筋も、だ。
毒々しいほど真昼のような明るさの夜の灯りに、彼の白い顔がやっぱり昼と同じようにはっきりと見えて、いっそ面白い光景だと思って、俺は口元の笑みを消すことが出来ないでいた。
「あぁん?当たり前だろうがっ!盛大に痛がれ!いっそくたばれ!むしろ死ねっ!!」
変わらない彼の悪口も、飛び切り機嫌のいい俺には通じない。
また一つひらり、身をかわす。
次に俺の軌跡を縫い付けたのは・・・それはもういい、彼の並外れた膂力によってもたさられた何かであることに変わりはないのだから。
「だからぁ、今日は喧嘩がしたいわけじゃないんだってば。そうじゃなくて、シズちゃん」
ひらり、ひらり、躰を揺らしながら、俺は彼が俺から目を放さない隙を確認して、続ける言葉は音にせず、唇で。
『いつもの場所で』
確かに伝わったのだろうに彼は、だけど怒りを静めることはなく。
「っ・・・!死ねぇえええっ!!!」
またぞろ何かを投げつけてきたので、今度こそ逃げの姿勢に入ったのだった。
機嫌のいい、笑い顔のままで。
+++
もういっそ滑稽だと、自分でも思う。
ほんの数十分前に殺伐とこちらへ向かっていたはずの彼は、今は悔しげな顔を崩さないまでも、俺の下にいた。
「シズ、ちゃんっ・・・」
腰を動かして彼を攻め立てる、本当に滑稽だと思った。
俺は彼が決して好きではない。
むしろ嫌いだ。
だけど彼と対峙する時はいつだって躰が熱くなったし、こんな関係が混ざるようになると彼の殺気の篭った視線に、気付けば痛いぐらいに勃起している、なんてこともしょっちゅうだったりした。
本当に滑稽だと思うし、馬鹿馬鹿しいと思う。
けど。
俺は彼が臆病であることを知っていた。
ただ、それだけ。
彼は触れる手を、何時だって怖がっている。
それに気付いたのは、何時だったろうか。
「シズちゃん」
どんな状況下でも。
それこそ、今みたいに躰の中まで全部暴かれてるような時だって。
彼の目はぎらぎらと俺を睨みつけていて。
認めないと、全身で言っている。
そして俺はそれに歓喜しているのだ。
ぞくぞくした。
ぞくぞくして、だから俺はいっそう激しく腰を打ちつける、それでいてわざと・・・彼の好む場所をはずしながら。
何時からだったろう。
ふと思った。
本当に、こんな・・・滑稽な関係なんて。
いつから。
思いながら動きは止めずに躰を倒して、彼の耳朶を食む。
自分の息が、熱くなっているのがわかった。
「シ、ズ、・・・ちゃんっっ・・・」
はぁ、と吐きかける息の熱さと。
なんだか癖になりそうなほど吐き気を催す感情と。
ぎらつく彼の眼差しと。
そんなものに、なんだか頭の芯がつきりと軋むように感じながら。
ただ俺は知っていた。
俺が、彼に抱くどうしようもない劣情と。
彼がどうしようもないほどに、臆病であると言う、ただそれだけを。
本当に俺は、知っていただけなのだ。
使う腰を止めずに思う。
思うのはただ、彼のことだけなのだ。
「シズちゃん」
熱に浮かされたように名ばかり呼ぶ自分の滑稽な声は、安っぽい灯りの下、夜の腐ったような空気に溶けていく。
むっとするような熱さの先に。
いつもと変わらない夜。
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>>一応「grow a hand」の続き。かも知れない。←
(2010. 3. 6up)
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