シズちゃんが死んだ。
 それはもう・・・・・・――あっけなく。



―― not happiness, not smile 1 ――




 暗い部屋で、男が一人うずくまっている。
 ぼんやりと、遠い目をして。
 六畳一間のボロアパート。
 かつて彼がいた其処に、男が来るのは初めてだった。
 部屋の主がいなくなって数日。
 場所は以前から知っていた。
 だが、まさか自分がこんな場所へ、足を運ぶだなんて思ってもみなかったのに。
 カーテンのない部屋には陽が射し込んで、充分な明るさがあるというのに、ただ暗く。
 暗く。
 男はぼんやりと窓の外を見ている。
 部屋の壁に背をつけて、膝を抱えうずくまって。
 下げられない顔は、正面にある窓を向き、視線はただ、酷く遠い。
 よく晴れた日だった。
 春先の空は青く。
 高く、透き通って。
 その青ささえ、男の目には少しだって映らずに。
 何を・・・見ていたのだろうか。
 わからない。
 ただ、暗い部屋で、男はうずくまっている、それだけだ。
 開け放ったままの扉から、微かな靴音が近づいてくる。
 耳慣れた、だがはじめて聞く音を立てて。
 じゃり。
 扉のすぐ傍で、端々のかけたコンクリートに乗り上げた砂を踏みにじる、黒い革靴が覗いた。
 動作に合わせ、いつも身にまとっている白衣が、ひらりとはためく。
 そのまま、靴を脱ぐことなく、うずくまる男のすぐ傍まで来たのも、やはり男。
 男の方を見ることのない、白衣の男のかけた眼鏡が、陽射しを受けてきらりと瞬いた。

「君は行かないのかい?」

 つるりとかけられた声は、やはり耳慣れたそれだ。
 うずくまったままの男は、白衣の男を振り仰いだりはせず、また白衣の男も、男を見下ろすことなどなく。

「・・・・・・・・・・・・何処に行くって言うんだよ、いったい」

 肩を竦めるような声だけは、常と変わらないそれ。
 だが、笑みを形作ろうとしたのだろう片頬は、みっともなく引きつって。

「知らないはず、ないだろう?君が。現に此処にこうしているじゃないか。僕にはただの逃避に見えるね。今日は静雄の――・・・・・・」
「新羅」

 白衣の男――新羅の言葉を遮った男の声には、先ほどは感じた、常の通りを装う調子は消えてなくなっていた。
 凍てついた透徹なそれは、常の通り色を持たないままだったのに。
 新羅は男を見なかった。
 男もまた、新羅を振り仰がない。
 窓の外は青。
 ただ青である。
 晴れ渡った空。
 きっと。
 彼も、いつか見た、寂れた切り取りの景色。
 部屋の中は暗かった。
 ただひたすらに。
 暗かった。

「此処にはもう、誰も戻ってはこない。わかっているだろう?静雄は死んだんだよ」



臨也。



 諭すように言葉をかけて。
 新羅は男を呼んだ。
 常と何も変わらない調子で。

「・・・・・・・・・・・・――わかってるよ」

 それはよく晴れた春の日だった。




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(2011. 2. 9up)


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