街は夕闇だ。
差し込む夕陽に赤く染まる部屋の中で、静雄は少しも動けずにいた。
項垂れるようにして、壁に瀬を預けて。
「・・・ばかやろぉ」
その言葉は、誰に向けられたものだったろうか。
自分か、あるいはあの男へか。
それすらもよくわからなくなりながら、静雄は。
ただ、部屋に一人、うずくまっている。
その小さな影は。
まるで何かを、待ってでもいるかのようにすら、思えるのだった。
―― pretty is innocent :2 do dusk know
――
かたりと、扉が開く音がした。
静雄は、気付いていながらも何も反応せず、指一つ、動かすことすらしない。
だってわかっていた。
このタイミングでこの部屋に来る存在なんて、一人しかないことを。
充分に、理解していたので。
「・・・シズちゃ」
「何しに来やがった」
このノミ蟲野郎。
なんだか項垂れたような男の声を遮って、静雄は低く押し殺した声を出した。
それは怒りに満ちているというよりは、震えて。
硬く。
部屋に。
無断で立ち入った男の。
つまりは臨也の、笑った気配がした。
それがなんだか酷く面白くなくて、静雄は一つ、口汚く舌打ちを打つ。
「あぁ、ほら。駄目だよ、シズちゃん、女の子なんだから」
舌打ちなんて打っちゃ。
そんな言葉に意味がないことなんて、疾うに判っているだろうに臨也が嘯いて見せるので、静雄はますますむしゃくしゃして。
胸元のポケットから、煙草の箱を探したのだが、中身がからで握り潰した。
また一つ大きく舌打ちして、臨也をまるで避けるようにして立ち上がる。
彼の横を通り過ぎようとしたのに、つと、腕を取って止められた。
「何処行くの?」
言いながら臨也が、こちらを振り向いてなどいないことを、静雄はわかっていた。
静雄も、彼の方を向くことなどしない。
男女の差も何処へやら。
男の癖に静雄より幾らかの低い臨也の頭が、それでも目の端に映ったけれど、決してそちらを見たりはせずに。
いつもなら拳がよく出るのだけれど、今に限ってはそれさえも億劫だった。
「煙草」
切らしたから、買いに。
小さな声で不機嫌に呟けば、臨也は笑うでもなくて掴んだ手に力を込めた。
「じゃぁ、俺も一緒に行くよ。この街はちっとも安全じゃない。女の子の一人歩きは、危ないからね」
陽もまだ落ちきっていないような時間に、それも今更何を言うのかと思ったら。
なんだか酷くむしゃくしゃして。
俺が、誰だかわかってて言ってるのか?
「勝手にしろ!」
腕を振り払って、足音も荒く部屋を出た。
バタリと音を立てて乱暴に閉じられた部屋の中に、追いかけるでも追いつくでもなかった臨也を一人残しながら。
「勝手にするよ」
そんな風に一つ、誰もいない部屋で呟いて。
踵を返して少し遅れて、彼女の後を追う男を、出来るなら少しだって気にしたくはないのにと。
出来もしないことを望み、そして出来ないことを判っている自分にまた一つ舌打ちして。
+++
近くのコンビニで一箱。
何時もの銘柄を。
静雄はタスポを持っていないから、自販機が使えないのだ。
面倒くさくて申請していないのだが、それをしていればもう少し早く、彼の事実に気付いたのかもしれないと思うと、なんだか無性にイライラした。
苛立ち紛れに封を切り、箱の中の一般を口に咥える。
カチリ、カチリと音を鳴らすのに、落ち着いていない所為か、ライターの火がなかなかつかなくて更にイライラした。
「貸して」
静雄の手の中で、ライターにヒビが入り始めた頃、すぐ後ろにいながら今まで一言も発しなかった臨也が、ひょいとそれを取って火を点けて、静雄の咥えた一本に近づけた。
静雄は眉根を顰めて、ほんの少し身を引いてしまったのだけど、結局は彼の点けた火を使う。
ジジと、紙の焼ける音が微かに響いて、慣れた苦味が吸い込む息と一緒に、灰いっぱいに満ちていった。
こんなことで、容易く落ち着いたりはしないけれども。
「ふん」
鼻を鳴らして歩き出す。
勿論、家に向かってだ。
臨也は、静雄の3歩後ろをついてきた。
コンビニに向かう時もその距離で、近づいたのはさっきの、火をつけた一瞬ぐらいのものだ。
そのライターは、いまだ彼の手の中で、静雄も、なんだか返して欲しいとは思っていなかった。
家に帰れば他にもまだあったはずだし。
なかったとして、買えばいい。
ライター一つなんてそんなもの。
夕陽はさっきよりもずっと赤さを増して、遠く東の空は既に夜の闇だ。
暗く棚引く雲は切れ切れで、湿った気配などちっともしないことに、明日もきっと晴れるのだろうと、どうでもいいようなことを思った。
雨だからなんだというのでもないし、晴れたからなんだというのでもない。
それは今の現状、事実が、何がどうなっても覆らないのと同じように。
「なぁ、臨也、お前なんで・・・」
ぼんやりと、なんとなく。
問おうとして、口を噤んだ。
夕陽が、赤かったからだ。
それは決して、こみ上げてきた何かが、あったからではない。
だというのに。
「ねぇ、シズちゃん」
臨也が、静雄の3歩後ろで、長く伸びた静雄の影を踏みながら、普段とちっとも変わらない声を紡ぐ。
透徹に延びる、青空のように冷たい声だ。
耳に心地言いというよりは肌がざわついて、心を塞ぎたくなる。
その上。
「子供でも作ろうか」
続けられた言葉は、わけがわからないものだったから。
「死ね」
一言吐き捨てて先を急いだ。
出来ればヤツの鼻先で。
部屋の扉を閉めて、鍵をかけてやろうと思って。
そんなことで臨也の進入を、止められるとは思っていなかったけれど。
夕陽が赤く斜めに射して、静雄の短い金の髪を、血の凝ったような赤い色に染めていた。
黒いベストの下の白いシャツも、まるで同じ色に染めて。
だけどベストと、静雄のかけたサングラスと。
臨也の髪や、目、服は、まったき同じ赤なのだった。
それは酷く当たり前のことだったのだけれど。
ただ、夕陽の下で。
後ろを歩く臨也の顔なんて、少しも考えたくはないと、静雄は思ったのだった。
陽が、落ちていく。
それは、ほんの少しだけの変化を。
彼と彼女に齎して。
ただ、赤い陽が。
辺りを照らしていた。
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>>実はこの二人両想い。(え)
(2010. 3.14up)
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