「子供でも作ろうか」

 俺としては一応。
 例えば出来たとしても、産んでいいよってつもりで言ったんだけどさ。
 (だってシズちゃんってば優しいから、きっとそんな場面になったら、悩んじゃうと思うんだ。だから)
 でも、返ってきた言葉は。

「死ね」

 あぁ、なんて彼女らしい言葉なんだろう。
 そう思って、俺はちょっと感動したのだった。



―― pretty is innocent :3 fall in darkness ――




 シズちゃんは部屋に入るなり、出て行く前と同じ処に座り込んで、背を壁に預けていた。
 2本目の煙草に火をつけて、ぷかりと吹かす。
 俺はたった今、これ見よがしに目の前で締められて、あまつさえ鍵まで掛けられた扉など何のその、細い針金2本で、簡単に部屋の中に足を踏み入れていた。
 さっきと。
 この辺りも、一緒。
 俺が口をすっぱくして言ってるからか、シズちゃんはめったに鍵を閉め忘れるなんてことしないし。
 (この場合、臨也をこそ、むしろ拒みたいのだという可能性は、彼の思考には存在しない)
 でも、シズちゃんちのアパートは、旧いだけあって鍵も頗る簡易で。
 その内こっそり付け替えてやろうと思っている。
 否、シズちゃんごと俺んちに回収するのが先かも。
 ともかく、シズちゃんは薄暗い部屋の中で、電気も点けないで座り込んでいるのだった。
 俺は暗い夕闇の浮かぶ、曖昧な彼女の陰影を、ひどく美しいものでも見るような心地で眺めていた。
 新羅の家から戻ってきて、きっと彼女は泣いているだろうとばかり思っていたけれど、俺がこの部屋に来た時には彼女の頬に涙は流れていなくて、でもコンビニに行った時にちらと見えた其処には、湿ったような後が見えた気がしたから、きっと泣いていたのだろうと思う。
 今はもうわからなくなっているけれど。
 俺は彼女を、美しいと思ったことなどなかった。
 ただの一度として、ほんの少しだって。
 それは彼女に触れている時も同じで。
 だけど、どうしてだろう、今、薄闇の中で、沈んだように項垂れる姿が、なんだか堪えがたく神聖なもののように思えて。
 胸糞が悪くなった。
 いっそ穢れてしまえばいいのにと、幾ら触れても、どれだけ酷く扱っても、決して汚れたりしない彼女に手を伸ばす。
 また、変わらない、何も変わらないことを解っていながら。
 彼女の傍らに膝をついて、そっと俯いたままの頬に触れた。
 もう何度も触れたことのある滑らかな肌だ。

「シズちゃん」

 声をかけるのに、シズちゃんはピクリとも反応しないから、なんだか酷くイライラして。
 今は煙草が口から離されているのをいいことに、ぐいと頬を両の手で引っ掴んで、彼女の唇に噛み付いた。
 少しだけ乾いていて、だけど柔らかいその唇は、シズちゃんの味がして。
 ほんの少しの煙草の苦味と、生温かい他人の体温に、ねっとりと舌を這わせる。
 抵抗がないのを確認しながら、貪るみたいにして僅か放しては、また重ねる、唇。
 だけどどれだけ重ねても、いつもはすぐに応えてくれるシズちゃんのそれが、今日に限っては応えてくれることがなくて。
 俺は知らず眉根を寄せる。
 でも、この手を、離せるはずなんてない、触れる頬に唇を滑らせて、そのまま首筋へと噛み付いた。
 きつく。
 ぷつりと、それ以上は食い込まない歯で、だけどほんの表面にだけだったら、傷つけることが出来るから。
 ちゅるりと、滲む血を吸い込むのに夢中になっていた俺の頭に、常にない力ない手が駆けられる。

「臨也」

 掛けられたのはシズちゃんの声で、その声は何処となく苦しそうだった。
 夕闇はますます濃くなって、もうほとんど赤の残滓すら見えない。

「なぁに、シズちゃん」

 俺はシズちゃんの滑らかな肌に口吻けたまま、きゅるりと視線だけ上に上げた。
 落ちた睫毛の濃い影がふるりと震えて、だのにその眼差しは、暗い色のプラスチックに阻まれて、ただでさえ薄暗いのに少しもはっきりとは見えなくて。
 イラっとしたから弾き飛ばした。
 かしゃりと、床に跳ねる音に、でもシズちゃんは反応しない。
 普段だったら、怒ったりすることもあるのに、臥せられた視線は、そのサングラスを追ってすらいないようだった。
 かと言って俺を見ているのでもない。

「シズちゃん?」

 覗き込む。
 影になってちっとも窺えない目を。
 シズちゃんの、黒というには色素の薄すぎる、茶色がかった澄んだ瞳は、だけど今はやっぱり影になって、もうなんだかよく判らなかった。
 そして、シズちゃんの顔色を。
 ちっとも読めない自分に、ざわざわと不快感がこみ上げてきて。

「シズ、」
「お前、もう俺に触んなよ」

 俺の声を、遮るのでもなく、でも重なったシズちゃんの声は、小さかった。
 小さくて、冷たくて。
 俺はきゅっとほんの一瞬だけ、唇を噛む。
 暗い部屋は、まるで全部が影みたいで、じじっと微かな音がするシズちゃんの指に挟まれた、火がついたままの煙草を、彼女の指から抜き取って、近くの灰皿にこすり付けた。
 今にも彼女の指に、灰が触れそうになっていた煙草だ。
 そうしたら部屋はなんだかますます暗くなったみたいで。
 口端が、そうしようと思わなくても歪むのが、自分でも判った。
 小さなシズちゃんの呟きが、ぽつりと胸に落ちて、どんどん意識が暗くなっていく。
 俺は笑った。
 シズちゃんってば。
 なんて滑稽なことを言うんだろう。
 そんなの・・・今更なのに。
 思ったら笑えてきて。
 シズちゃんの手に、何故だかほとんど力が入ってなかったのを幸いとして、ぐいと身を乗り出して、もう一度彼女の唇に噛み付いた。

「駄目だよ、シズちゃん。そんなこと言われて、俺が言うとおりにすると思う?」

 そんなわけないじゃん、逃がさない。

 彼女の頬に。
 添わせたままの手は、そのまま短い金の髪を引き掴んで、逃がさない、離さないと貪る唇はどれほどの甘さだったことだろう。
 その日俺は、これまでと同じように。
 否、きっともっと執拗に。
 柔らかな果肉を噛み潰すよう、彼女を貪ったのだった。
 これまでにないくらいに、初めての時よりずっと、強張ったままの彼女の躰を。
 俺自身のそれで割り開いて。
 部屋は疾うに闇に落ちて、まるで二人ともが落ちていく。
 深淵へと。
 それは何処か甘美で・・・だけど、酷く冷たい。
 そんな夜が。
 堕ちてくる、冷たい彼女の部屋で。
 俺はその進む道が、酷く歪んでいることを知っていて。
 ただ、その先へと、急ぐように。


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>>臨也んがなんかアレな件。まぁ今更ですが。ちなみにこの後にさしはさまれてるはずのエロろシーンがぶっ飛ばされるのは仕様です、これに関しては発行本にも収録しない予定。と、いうか書く予定がない。にゃー。


(2010. 3.15up)


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