「えぇーっと、お前。臨也、だっけか?折原くん、だよなぁ?」

 ありふれた日常に満ちた池袋の一角で。
 かけられた声に誤魔化すことなく振り返ると、其処には一方的に見慣れている気がするドレッドヘアの男が一人。
 と、いうよりはもとより、聞き覚えがあったから振り返ったのだけれど。

「やぁ、これはこれは、シズちゃんの上司の。お話しするのは2度目、ですよね?田中さん?」

 見る人が見ればさわやかに見えないこともない胡散臭い笑みで、臨也は口の端を歪めた。

「おう。アイツを仕事に誘った直後にな。お前さんが何やかや言ってきた時以来だよ、確か」

 田中と呼ばれた男の笑みは、臨也のそれとは酷く対照的に、何処かしら人好きのする雰囲気を醸し出していて。
 打ちたくなる舌打ちを押し止め、辛うじて崩さずにすんだ笑みは、最初振り返った時のそれより、よほど醜悪だったろうと。
 臨也は思うでもなく、我ながら自覚しているのだった。



―― pretty is innocent :4 regret was over ――




 正直、見ていられなかったというのが本音だ。
 ほんの1月ほど前だったか。
 アイツは、酷く消沈した様子で、仕事に出てきた。
 一見して何も変わらない。
 仕草も、服装も。
 何時もと何一つ違うところのない、弟に大量にもらっただとかいうお馴染みのバーテン服に、その豊満な体を窮屈そうに押し込んで。
 黒いヒールで闊歩する足も颯爽と、何も変わらず彼女は彼女だった。
 だけど。
 例えば、かつかつと鳴る足音一つ。
 目が会った次の瞬間、逸らされる視線一つ。
 どうして気付かずにいられただろう、どれもこれもが何処か違っていて。
 様子がおかしいのに、声をかけるのさえ躊躇われるほど。
 だから思わず少しの間一人にしたのだけれど、それを告げた時の、辛そうな笑顔が忘れられない。
 自分の変調には、きっと自覚があったのだろうと思う。
 短い金の髪がアイツの心情さながらに揺れていた。
 其処から、ずっとだ。
 張り詰めたような気配で、きりきりと身を細め、常よりずっと機嫌が悪く、元より低い沸点を更に低くして。
 それでも、其処から2週間ほどしてか、一瞬ほっとしたように気を抜いた様子を見せた時もあったのだけれど。
 (その時の詳細な理由を知ろうとなど思わない。俺はそれほど無粋ではないつもりだ。)
 やはり、変わらなかった。
 だからかもしれない。
 アイツは何も言わない。
 言わないけれど、彼女がそんな風に変調を来たすとして、理由などこの目の前の男以外には考え付かないのだ。

「相変わらず・・・ある意味ではちっとも読めない人ですよね、貴方も」

 そういう人は、嫌いじゃないですけど。

 言いながら笑顔を崩さない折原とかいう新宿で情報屋を生業とする男は、だが見るからに嫌そうに眉根を寄せていた。
 俺はこの男に、多分嫌われているだろうことを自覚している。
 ただ、無害だとも思われているようで許されているだけだろう・・・彼女の傍にいることを。 

「で?なんですか?いきなり声をかけてくるなんて」

 見かけたからと言って話をするほどに親しかった覚えはありませんけどね、俺は貴方と。
 それに何時までもこんな所にいたら、何時彼女が来るか・・・。

 やはり、笑顔は崩さないままで、だけどその頬が強張っているのに、俺は少し苦笑した。
 それが、人間味の少ないこの男の、物珍しい弱点のようなものに思えて。
 俺ははっきり言って、お節介など焼く方ではない。
 其処まで親切ではないし、そんなこんなに首を突っ込みたがるほど、好奇心に溢れてもいないのだ。
 ・・・お人好しだとは、幾度か言われたことがあるが。
 自分としては、もしそうであったら、こんな仕事などしていないと思っている。
 だから、折原、を、街中で見つけて。
 ちょうど一人だったのを幸いと声をかけたのは、本当に。
 ただ、見ていられなかったからなのだ。

「アイツにはちょっとオツカイを頼んであるから、もうしばらくは多分大丈夫だよ。つか、言わなくても、わかってると思うがなぁ・・・」

 俺とお前の共通点なんて、一つしかないだろうが。

 ひょいと肩を竦めて見せる。
 呆れ半分。
 ・・・怒り、半分。
 そう、俺は多分、怒っているのだと思う。
 呆れてもいるし、結局は当人同士の問題だとは思っているのだけれど。
 俺はアイツが可愛い。
 勿論、異性としても好感を持っている、それは恋だとかなんだとかそういう色っぽいものではない、あえて言うと妹か何かに抱く感情によく似たそれだ。
 それでいてぐらっとくることもあるし、実際充分にいい女だと思う。
 あの、短気な所を抜かせば。
 だが、だからと言って、手を出そうとは思わない。
 そうするには、俺は彼女を知りすぎていて・・・そして、知らなさ過ぎたのだ。
 いずれにせよ、そんなある意味では複雑な、それでいて好意的な感情を抱いているのだ、怒りを、覚えないはずがなかった。
 俺が、とっとと話題を向けた途端、ひゅっと、目の前の男から笑みが消えた。
 凍えるような冷気が、躰を満たした気がしたけれど、そんなもの本当は怖くない。

「貴方に・・・彼女とのことを、」

 口出しして欲しくない。

 と、でも続けたかったのだろう、だが俺はつと、努めて歯切れのいい声で遮った。
 折原の、酷く透徹な音を。
 冷たい声を。

「たった一言で」

 ぜぇーんぶ上手くいくんじゃねぇかって、俺は思うぞ。

 そんな言葉に、出来る限りの真摯さを込めて。
 もう一度肩を竦めて見せる。

「静雄は、案外単純だからなぁー・・・」

 そんな苦笑とともに。
 折原は。
 面白くなさそうにこちらを睨みつけて。
 だが、唇を噛み締めるだけで、それ以上は口を開かず、踵を返したのだった。
 剥がれ落ちたヤツの仮面は、昼間の雑踏の中で。
 酷く滑稽に俺の目に映って。

「はは。アイツも若ぇなぁー」

 俺は笑った。
 これで、何がどう変わるかなどはわからない。
 あの男が動くかどうかも。

「ま、俺が出来んのはこんぐれーだわな」

 微かにぼやいて、俺は遠くから小走りで近づいてくる静雄に手を上げる。
 俺を見つけて、へにょりと控えめに笑う彼女は。
 だけどやはり少しだけ、何処か沈んでいるよう、でも俺に出来ることなど、もう幾らもなくて。
 ただ、変わらず接するぐらいしか。
 それが何処か、歯痒くも感じながら。
 何時もと変わらない街並みは、昨日と変わらず灰色めいていた。


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(2010. 3.15up)


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