『たった一言で』

 全部上手くいく。

 そんなようなことを、知ったような口調で臨也に告げたのは、いけ好かない静雄の上司だった。
 単純に臨也よりも静雄の近くにいるというそれだけでも気に食わないのに、臨也などよりずっと、静雄のことを、知っているのだというような口を利いて。
 腹が立たないはずがない。
 だけど、あの男が稀少にして無害だということも、既に臨也は知っていたので。

「まったく」

 ま、しょうがないよねぇ〜・・・。

 臨也は呟く。
 暮れ行く池袋の夕闇を見て。
 その下にいるのだろう、彼女のことを思って。
 らしくない、深い息で。
 ただ、息を吐いたのだった。



―― pretty is innocent :6 who is red ――




 珍しく長く、彼女と会っていない。
 あれからひと月とちょっと。

『お前、もう俺に触んなよ』

 そういった彼女は全身で俺を拒否していた。
 躰も、ずっと硬いままで。
 何時もよりずっと酷く抱いたのに、反応はずっと硬いままで。
 感じてないとか、声を上げないとか、そんなんじゃなかったけど、でもずっと。
 俺を拒否してた。
 それがわかった。
 だから俺は悔しくて・・・辛くて。
 本当は。
 見ることに耐えられなかったのかもしれない、行為の後意識を失った彼女を放って、後始末さえせずに部屋を出たのは。
 明けやらぬ空は暗く、凍えた夜明け前の凍てついた空気が肺を満たして、俺の心に突き刺さる。
 それはまるで、彼女から向けられた刃のように。
 そうやって彼女と触れた時から、もう疾うにひと月と少し、経っていた。
 夕闇の中、彼女を見る。
 何時もと何も変わらないように見える彼女の後姿だ。
 金の短い髪を赤く染めて、ベストもスカートもヒールも、全部赤くて。
 白いシャツの袖が、肌と同化するみたいだった。

「シズちゃん」

 呼びかける。
 気付いていないはずもないのに、(だって彼女は俺の気配に一際敏感なのだから。)気付かないふりで、しばらく前から後をつける俺に、一度たりとも視線をよこさない彼女に。
 何も変わらない、姿に見えた。
 少し前の、あの田中と言う男が、彼女の様子が変だと言っていたけれども、俺にはわからない、変わることのない後姿だ。
 あの日。
 コンビニに行くという彼女の後を追った、その時の背中とそっくり同じ。
 違うのはただ・・・俺を。
 何処か、頑なに。
 あの日よりも、拒絶しているところ。
 幾らそうして、後をついて行ったことだろう。
 彼女のアパートのすぐ近くまで来ていた。
 赤い夕闇が街並みを染めて、見慣れた街並みがこの一瞬だけは別の待ちの様に見える。
 少なくとも俺は、この赤を見る度そう思う。
 彼女はぴたりと足を止めた。
 俺も同じように足を止める。
 赤い夕陽が、眩しいほどに。
 禍々しく、彼女を照らす。
 俺が、彼女に声をかけたのは随分前で、俺も一度きり、名を呼んでそれ以降何も言葉を発していなくて、それは彼女も同じで。

「・・・・・・ついてくんなよ」

 声は、小さかった。
 何処か、憔悴しているようにも思えた。
 俺は変わらない声を作って、肩を竦めて見せた。
 振り返らない彼女の眼には触れないこともわかっていたけれど、顔も必死で何時もと同じそれ。

「酷いなぁ、シズちゃん、俺はシズちゃんの旦那さ」

 言葉を遮るように彼女は振り向きざま近くにあった街燈を引っこ抜き、こちらに振りかぶった。
 とっさに身を捩って避ける、俺の真横を掠って飛んだそれは、ジジと鈍い音を立てて、ついでバリンと硝子の砕ける音をさせた。
 それが、どっかの家の壁やなんやに突き刺さっているだろうことは、振り返らなくてもわかる、そのまま続けて繰り出された足は上手く力を逃がしながら受け止める、その一瞬で掴んだ足は細くて、ほどよくついたはりのある筋肉は俺の好きな彼女の部位の一つだ。

「あっぶないなぁ、駄目じゃないか、そんなに暴れたら。お腹の子になんかあっ」
「できてねぇよ!」

 茶化すよう、精一杯いつもどおりの俺の言葉は、彼女の厳しい声に遮られた。
 ・・・まぁ、俺も。
 ほんとに出来てるとは、思ってもいなかったけどね。
 可能性は、あの最後の時、俺は敢えてゴムをつけずにしたから、確率は半々、多分それ以上。
 でもそんな簡単にできたら、世の中の子供の欲しい夫婦は苦労しやしない、そもそも本当に彼女が妊娠でもしていたら、俺はとっくに新羅辺りに呼び出されていただろうと思う、彼女は躰の不調を、ほとんどあの悪友便りにしているから。
 だから、まぁ、予想していたことなんだけど・・・ほんの少しだけ残念だった。

「なぁ〜んだ、残念」

 彼女の足から手を離して、一歩後退り、また一つ肩を竦めて、然程残念でもなさそうな口調で嘯いた。
 途端、怒りを露にする彼女の白い頬は、赤い夕暮れに染まって色鮮やかだ。
 俺はただ、それを見ている。
 顰められた眉、それは何時ものことだのに何処か違っていて。

「てめぇやっぱあん時、着けずにしやがったのかよ」

 ギリギリと唇を噛み締めるから、俺は多分、彼女が見慣れているだろう顔で笑う。

「言ったじゃない、ちゃんと」

 子供でも作ろうかって。

 あの言葉は、大分本気だった。
 出来てもいいって思ったんだ。
 いっそ、出来たらいいって。
 俺の血を引く子供とか、むしろほんとは虫唾が走るけど。
 でも、そんなもんでシズちゃんが繋ぎとめられるなら・・・俺に、繋ぎ止ってくれるなら。
 それでもいいって、思ったんだ。
 ほんとだ。
 シズちゃんは優しいから、子供なんて出来たら、堕ろすことは出来ないだろう。
 そうしたら、其処につけこめるかなって。
 でも、それがいやだったのかな、シズちゃんは顔を歪めてた。
 歪めて、泣きそうに情けない顔で。
 らしくないって思ったら、俺は気づけば彼女を抱き締めていたのだった。
 だって、俺は本当は。
 もうとっくに彼女のことを。

「シズちゃん」

 俺の声も、きっと歪んでいたと思う。
 細い肩。
 俺より身長もあって、馬鹿みたいに力持ちででも、ちゃんと、女の子で。
 柔らかくて、脆くて・・・・・・綺麗で。
 だから、俺は。
 ただ、彼女を抱き締めている。
 赤い夕陽の下で。
 二人、歪に染まりながら。
 ただ。


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>>臨也が大分偽者な件・・・今更かorz


(2010. 3.22up)


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