「んっ・・・ふぁっ・・・ぁあっ・・・いざ、やぁ・・・!」

 もう。

 がくがくと長い睫毛が震えた。
 目尻に溜まった涙が、頬を滑り落ちる。
 其処にあったのは、ただ脆弱な魂。
 普段の、池袋最強と恐れられる彼の影すらない。
 だがそれも当然と言えただろう、何故なら。
 ずちゅりと響く水音は、彼の下肢からだ。
 あるいは彼自身を握りこむ、男の手からか。
 もしくは更に、その奥の。

「ぁあっ!!」

 ずりゅっと一際大きな水音をさせて男・・・臨也が、酷く深く彼を抉る。
 余裕など何処にもない彼の表情に、臨也は得たりと微笑んだ。
 薄く開かれた琥珀の瞳に伸び上がって舌で触れて。

「シズ、ちゃん・・・」

 息を、練りこむようにして名を呟く。
 びくりと、彼の肩がまた一つ大きく揺れた。
 ひくひくと喉の奥を引き攣らせて、淡い琥珀が臨也を見る。
 浮かんだ涙はどれだけ透明で。
 そして。

「いざ、やぁっ・・・もぉっ・・・!」

 震える言葉に、臨也はますます笑みを深くして、彼の琥珀を真っ直ぐと覗きこむ。
 滲んだ涙の膜に揺れて、紅い瞳の男が微笑んでいる。

「もぅ・・・限界?」

 柔らかく。
 さながら、悪魔の囁きのごとく促せば、ほんのついさっきまで虚勢を張り続けていたとは思えないほど、多分、もうきっと今を認識していないだろう彼が、がくがくと首を上下させて、肯定の意を示した。
 正気に戻った時、彼はきっと覚えていないだろう。
 それでもよかった。
 ひとまず言質は取れたし、だから今は、それだけで。

「ふふ。シズちゃん。君の負けだよ」

 笑って。
 臨也は律動を激しくすると同時に、彼を塞き止めていた指を離したのだった。

「ぁああっ・・・!!」

 長く尾を引く悲鳴を上げて絶頂へと押し上げられた彼の意識を置き去りにして、決定づけられたそれは、所詮ただのお遊びで。
 そして、ただの。



―― in summer night 1 ――




「と、言うわけでシズちゃん、これ着てね」

 とある日の昼下がり。
 もう夕刻に近い時間、そう言って掲げられたのは、深い藍に染め上げられた、見るも鮮やかな一着の浴衣。
 描かれた藤の花は、ともすれば女性用の物に見えなくもなかったが、まさかそこまで悪趣味なはずもなく、地色の深さと、渋い色目に男性用のそれと知る。
 新宿一等地。
 某情報屋の自宅である。
 仕事場にしているマンションからほど近い其処は、ほとんど特定の人間・・・と言うよりは、ほとんど彼だけしか立ち入らせたりしない場所でもあった。
 その彼こそは平和島静雄。
 この部屋の主、折原臨也の宿敵にして喧嘩相手、あるいは一夜を低くない頻度で共に過ごすような対象でもある。
 恋人だとかなんだとかそんな甘い感情など、彼に対して持ち合わせていはいない。
 ならばなんなのだと聞かれても返答に困るのだが、あらゆる意味で『特別』であることだけは、歪みのない事実。
 そして件の彼は、掲げられた一着の浴衣を前に、嫌悪感も露わに眉を顰めて口を開いたのだった。

「ぁあ?何言ってんだ、お前」

 胡散臭そうに、少し掠れた声で問い返せば、にこにこと気持ち悪いぐらい満面の笑みを浮かべた男が、ますます笑みを深くして。
 ぱさりと掲げた浴衣を後ろに無造作に放り投げた。
 すりと、手の甲を静雄の頬に当てる。
 臨也のマンションの寝室。
 いまだベッドの上、白いシーツに包まったままの静雄の頬は少しだけひんやりとしていて、空調がきつすぎたかな、と、臨也はどうでもいいようなことを思った。
 昨夜思う様、腕の中泣かせた彼だ。

「何って・・・だって賭けたじゃない。どっちが先にギブアップするのか。のったのはシズちゃんだよ?」

 勝ち目がないことなんて、判っていたくせにね。

 肩を竦めて見せると、静雄の眉間の皺がますます深くなる。
 あぁ?と、凄んで見せるのに、欠片も気にしない様子で臨也は彼の頬に当てていた手の甲をくるりと返して、今度はそっと指先で触れた。

「覚えてないの?まぁ、シズちゃん、飛んじゃってたしねぇ・・・でも、負けは負け」

 ね?

 にこりと、自分でもわかるほど途方もなく胡散臭い笑みで彼の琥珀を覗き込めば、存外にその顔に弱い彼は、ちっと舌打ち一つで視線をそらして。
 その頬が、僅か赤い。
 あるいは記憶の中、微か思い当たる節でもあったのかもしれないが、それは大きなことではなく。
 かくして、彼はさほどの抵抗もなく、その藍色の浴衣に手を通したのだった。





+++





 なんだかんだと支度をしていたら、時間などはすぐに過ぎる。
 陽の落ちたばかりの薄暗い街並みの中で、すっくと立つ彼のシルエットは、驚くほど美しい。
 街燈にぼんやりと浮かび上がる白い頬。
 とても、数時間前まであられもなく乱れていた彼と同じとも思えない、今日は予定のなかった彼と、朝になってからも色々としてしまっていたので。
 行く先では、ぽつりぽつりと赤提灯。
 祭りの灯だ。
 深い藍色の浴衣を着た彼と、臨也の着ているのはちょうど色が反転したような藍よりは少しだけ淡い色合いのそれ。
 深い藍で、やはり藤が染め抜かれている。
 こんな衣装を身にまとって、二人並んで。
 二人とものテリトリーから、さほど離れてもいない場所なのに。
 だが、誰かが彼らを見ても、すぐにそれとは気付かないだろうと思えた。
 静雄は。
 お定まりのバーテン服を着てはいないし。
 臨也だって黒尽くめでなどない。
 きっとその瞳に映る色一つ見たって、いつもの彼らと同じものなど、何一つなくて。
 赤い提灯が近づいてくる、遠い賑わい、疎らな雑踏。
 彼らと同じように、だが、違う様子で、浴衣を着ている人々が目立つ。
 静雄は、どこか当然とした顔をして、祭りの灯を見ていた。
 あれほどに。
 その格好をすることを渋った彼であると言うのに、だ。
 臨也はその白い横顔を見て、心の中で嘲笑う。
 今日は夜市だ。
 祭りと言っても、大きなものではない。
 せいぜいが小さな神社に、申し訳程度の出店が並ぶぐらいのもの。
 だけど、彼にこの装いをさせる理由には充分で。
 近づいてくる赤い灯に、件の祭り会場に差し掛かった時だった。
 それはなんでもない視線。
 あるいは街中なら、よく目にするような。
 でも、今は夜で。
 彼は、常とは少し違う様子でいて。
 臨也の気付いた視線の先にいたのは、彼だ。
 舐めるようでいて、陶然としたようにも思えるその視線は、性的かどうかすら微妙な範囲。
 ただ、どうしようもなく臨也の癪に障って。
 彼に視線をやっている男に、見覚えなどはない。

「シズちゃん」

 気付けば彼の手をひいて、祭りの喧騒とは逆の方へ。
 足をずんずんと進めていた。
 そもそも、目的はそれではなくて、彼に浴衣を着せることだったので。

「ちょ、おい、臨也っ!?」

 焦る声など無視をする。
 掴んだ手首の細さは、高い身長とあいまって妙にアンバランスで。
 否。
 ただ、臨也の手に細く感じるだけで、実際に彼は華奢なわけではない。
 だが、それに意味などはなく。
 臨也は何も答えなかった。
 足を先へと進めるだけだ。
 祭りの喧騒から遠ざかりながら。





+++





「っ!」

 どしりと、投げつけられるようにして腕を放される。
 自然背が壁に口吻けた。
 一瞬の衝撃・・・と言っても、どうということはないのだが、ともかくそれに、目の前の男を睨みつけると、よく目にするような顔で笑う紅い瞳。
 眉間にきつくしわがよる。
 むっと、不機嫌も顕わに顔を歪ませる静雄に、やはり常のごとく臨也は頓着した様子を見せなかった。
 とん、と、顔の横につかれた手のせいで、彼との距離は酷く近い。

「何だってんだよ、いったい」

 凄む声にも臨也の瞳は揺らがず。

「っち」

 静雄は一つ舌打ちした。
 逸らす視線の先には、ありふれた遊具。
 彼の神社から程近い、こぢんまりとした公園。
 その中の植え込みの一角。
 静雄が背で口吻けた壁は、隣接する灰工場のそれだ。
 陽が完全に落ちきって幾許か。
 薄闇は暗く沈みこんで、すっかり夜の様相を濃くしている。
 街灯も遠く、互いの輪郭がようやっと見えるような闇の中で、なのにどうしてこいつの紅い瞳だけは、はっきりと見ることが出来るのだろうかと、静雄は逸らした視界の中で惑う。
 いつもだ。
 いつもなのだ。
 静雄はいつも、彼の目をずっと見てはいられない。
 逸らされることの無いまっすぐな紅い瞳は、それだけで何か、静雄の奥の奥。
 躰の何処かをくすぐるような気がして、なんだか居た堪れなくなるのだった。
 紅くて。
 紅くて、まるで人ならざる何か、何処か遠く、静雄を、いつだって知らない世界へ誘う魔性の瞳。

「目、逸らさないでよ、シズちゃん」

 君はいつも、俺の目を見てくれないよね。

 恨み言めいて吐かれた言葉は、だが笑みを含んで。
 きっと。
 取り立てて大きな意味など、なくて。

「・・・まぁ、いいけど?逸らせないように、するだけだし」

 良いながら、静雄の顔の横、壁を押すようにしている手とは逆の方の手が、細く滑らかな頤を掴んだ。
 逸らすことを許さない眦で、覗き込んで視線を絡める。
 紅い瞳が近くて。
 酷く近くて。
 どくりと。
 鼓動が高鳴った。
 紅い瞳は禍つ色だ。
 目の色素だけが、多分薄い。
 その凝った血より深い色に、静雄はいつまでも慣れないでいた。

「何言ってっん・・・んん・・・・・・」

 言葉は最後まで紡がせてもらえずに、重なった口の中へ溶けて。
 ずりと、いつの間にか圧し掛かるようにして押し付けられた躰に、知らず、縋るよう手をかけている。
 手に触れたのは馴染みのない麻木綿。
 濃い草の匂いが、不意に鼻の奥に飛び込んできた。
 そこではたと、今が外、しかも誰が通りかかるのかすらわからない、住宅地の中にある公園、その中の隠れきれない片隅だと思い出す。
 酷く気が急いて、縋る指に力がこもった。
 だけどそれも。
 しまいには翻弄されるような熱い舌に、意識ごと絡め取られて。
 押し付けられた下肢、臨也の膝が、割るようにして静雄の内腿を布越しに刺激する。
 びくりと、肩が揺れた。

「ふ・・・はっぁ・・・」

 放された唇の隙間から漏れる吐息は熱く、すでに熱を帯びている。
 臨也が得たりと笑む。
 だが、それはぼんやりと霞んだ静雄の目には映らず、ただその瞳だけが紅い。

「やぁらしぃんだ、シズちゃん。此処、もうこんなだよ?」

 言いながら示されたのは腿の間、その中心。
 臨也の指示で、薄い布地一枚しか隔てるもののない其処。
 其処はすでに硬さを増して、じんわりと存在を主張していた。
 じきに。
 はしたないしみが、浴衣についてしまうことだろう。

「くそっ・・・たれっ・・・!」

 次第にぼやけていく頭で、静雄は少し前の自分を恨む。
 この男の口車にのって、こんな格好をしてしまうなんて。
 浴衣はいい、浴衣はいいのだ。
 問題はその下。
 ほぼ何も身につけていない現状だ。
 それがいかにおかしな格好であるかは、今ならばわかるような気がする、だが数時間前の自分は頭に血が昇ってでもいたのだろう、結局はそんな心もとない格好のまま、外出してしまう、だなどと。
 吐き捨てた言葉は、男に唾かけるようにして。
 だが、そんな些細なことを、やはり臨也が気にするはずもない。

「随分な口を利くんだね、シズちゃん?」

 お仕置きが必要かな?

 紅い目が煌めく。
 静雄は背筋を這い登る、言いようのない悪寒のようなものをはっきりと感じたようにも思うのだった。

「うっ・・・ぁあっ!!」

 上がる悲鳴は夜の中で。
 しっとりと塗れ。
 まだ。
 夜は長い。




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>>噂の浴衣エロ前半。


(2011. 5.18up)


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